けども、その時の結論は現実社会の方が優位だと述べた。
理由は「唯物論」的観点から、ただ現実社会の方が仮想社会より先に存在していたからとうい単純なものからだった。
更に補足すると人間は最終的には死をもって現実社会から去るわけだから必ずリアリズムつまり肉体的な自分の痛みが大なり小なりともなう体験を経る。
だから、そのことに対処するための自分自身のはっきりした考えないし心構えを備えていないと、おそらく困るだろうと考えたかった訳だ。
はたしてそうか。
仮に仮想空間に埋没してしまったままで死に至ったとしても何も不自由もないかもしれない気も最近してきてしきりだ。
と言うのも僕自身30年程前に、そいった人間嫌いな自己内向的な生活を3年位送っていた経験の持ち主だからだ。
その中でも半年間は最低で誰ともまともな会話せず暮らした。
食事も毎日、朝7時半に近所のホカ弁屋で唐揚げ弁当(350円)とインスタント味噌汁(50円)を買って来て食った。
店の人も顔なじみになると僕が何も言わなくても直ぐ準備してくれて金だけ払って帰っていた。
あとアパートの入り口横にジュースの自販機があり喉が渇くと、そこで缶ジュース(100円)や缶コーヒー(100円)を買っていたから会話ゼロだった。
あとタバコ(250円)も自販機だったし現金も駅前の銀行のATMだったし電話もなかったから通話もなし手紙もチラシ以外がポストに入っていた記憶がない。
朝、弁当を食った後は夜7時位まで12時間は寝ていた。
そして翌朝の7時半まではテレビを見るか。
レンタルビデオを観るか。
レンタルレコードを聴いて過した。
本も近所に古本屋が数件あったので文庫本(100円)を買って来て読んだが、ほとんど途中で飽きて積読だった。
当時、大学生だったが全くキャンパスには行かなかった。
だから、かなりの単位を落としたと思う。
風呂も月一回しか行かなかった。
その当時は、誰しも一時的には、そいった自分自身を見つめ直すといった暗い生活も送るもので、ある瞬間から、やはり現実社会に復帰せねばと普通のサラリーマン生活を始めたのをきっかけに卒業した様な気分でいた。
けども最近になって何か当時の生活が逆に至って快適で心地よくて忘れられない自分に目覚めてしまっている。
何故か。
当時から数年経ってビジネススタイルとしてSOHOが持て囃され始めた。
SOHO(ソーホー)とはSmall Office/Home Office(スモールオフィス・ホームオフィス)の略で
「パソコンなどの情報通信機器を利用して小さなオフィスや自宅などでビジネスを行っている事業者」
といった意味で使われる場合が多い。(Wikipedia)
僕のイメージとしてはネット店舗などを開けば実際の不動産としての店を設ける必要もない。
仮想空間に売りたい商品を掲載すればいいだけで実際の品は現実の品であれば小さければ自宅に在庫すれば済む。
仮想的なもの(アイテムやソフトウェアやオンラインサービス)であれば、それすら仮想空間に置け実際のスペースは一切必要なくなる。
ただデータを保存するための物理的なディスクは必要だが、どうせ共有サーバーで済む話で、わざわざ自分専用のサーバーを立てる(大容量でセキュリティも独自でと考えるのであれば話は別だが・・・)まもでもないと割り切れば全くスペースの心配は要らない。
そんな感じだ。
そして、そのビジネスが軌道に乗っていたと仮定すれば、こういった生活が待っている。
まず衣食住だが・・・
(衣)・・・ネット通販で購入でき部屋着と割り切れば高価でなくて済む
(食)・・・最寄りのコンビニか今はネットスーパー、宅配サービスも充実してるからこれも外出は殆ど不要だ
(住)・・・電子機器と自身の健康も考慮して快適な温度と湿度が保てる空調設備の整った部屋であればいい
歳入歳出・・・
すべてネット決済かクレジットカードにすれば外出は不要だ。
余暇・・・
今やデジタルAVが、ここまで発達しクリアになってしまえば変に実際の世界遺産とかを訪れて妙な伝染病の感染や治安の悪さで人質に捕られるリスクをとるくらいなら外出は控えてDVDでも鑑賞してた方が安全と割り切り、オンラインゲームでも勤しむ。
となる全くもって仮想社会で事足りる現実とは何かと思えてくる。
つまり他人との実際の交流も遮断でき一人だけで生きることすら可能にしてしまった今とは、どういった社会と説明すればよいのか。
また仮想社会の中で市民参加したコミュニティ活動に周りから現実社会ではありえない感謝のされようをして妙に自己実現してしまって、いい心地になる社会とは何なのか。
正か負か。
微妙。
やっぱ有りかもしれない。
要するに何が言えるか、実は現実社会ではあり得ない事が仮想社会では意図も簡単にできてしまう。
(1)性別の詐称
(2)年齢の詐称
(3)容姿の詐称
(4)学歴の詐称
(5)収入の詐称
(6)出生の詐称
しかし、これらは「詐欺じゃないか」と思われた輩は甘い。
これが現実社会に引き戻してしまえば確かに詐欺だ。
だが仮想の中に埋没し一切、現実から逃避してしまえば可能なはずだ。
つまり実際の婚姻も金銭の授受も全くない社会なら全く問題ない。
つまり、そこは仮想つまり脳の中のイメージでしか無いからだ。
お互いが自らをイメージし作り上げてしまった別の自分でしかない自分、つまり創造した自分である。
これは非常に興味深い。
つまりこうだ。
自らが思い描く自分が仮想社会で創造できたなら現実社会では男のはずが自らは女であることを欲していて望通りになってしまう。
つまり理想が具現化できる社会が仮想社会に存在しはしないか。
ただ仮想社会でも他と共生するため、どうしても何か優劣は付けられてしまう。
それは仕方ないが現実社会では生身だから自己否定されてしまうが、そこは自らの創造物でしかないから再構築も意図も簡単にできる。
その試練も変な励みになったりして、しかもクオリティ的にも現実社会の妙に偏見に満ちた陰気臭さより清潔感漂う清々しい気がするのは気のせいだろうか。
だとしたら、この社会をどう捉えればよいのか。
余りに安価に高速通信や大容量記憶機器が利用でき簡単に音楽や画像・動画が閲覧でき、その数も全く把握できないほど膨大で退屈などしない快適な社会だ。
だから現実的な物はあり余りデフレになり、しかも地球温暖化は大気圏のオゾン層の破壊からだから今の昼間って放射物質が非常にふり撒かれている状態で癌などの突然変異を生むリスクも高くなってきて外出は控え目になる。
益々、何をもって現実社会はすばらしいと言っていいのか訳がわからなく説明がつかない。
ちなみに唯一、外出する機会だったはずの投票行為すら今オンライン化し自宅から参加可能にしようと確か検討されてるはずだ。
これはトレンド的にも外出不可を奨励しているようなもので、この世から現実の町並みが消え広告塔が消えネオンが消え街灯が消えても
「え、そうだったの。何年前から全然知らなかった。」
と呟かれても仕方ない社会が、もう直ぐそこまで来てやしないか。
これは恐怖か渇望か・・・
(追記)
今の流通および小売業界が目指しているのは誘導ないし扇動だ。
なんだ、この切迫感、息が詰まりそうだ。
Please stop it anyone please .