橘たかし no 皆の仲間: 2021年7月2日金曜日

2021-07-02

第5回 ブラック企業とは私の就労体験から言える事

まえがき

今回は組織論について論じたいと思ふ。

組織論の中でもマックス・ウェーバーが提唱した官僚制について論ずる。

解り易く平易な文で論ずるつもりだ。

電車と会社は似て非なるもの

満員電車で乗客の体重を一手に自分だけで支えていると思った事はないだろうか。

試しに支えていた自分の足を少し緩めると一揆に倒れこみそうになり本当だったんだと確信する。
電車は会社の組織を例えるのに都合が良い。

運転手が経営陣で車掌が監査役といったところだろう。

そして乗客が社員だ。

経営陣は運転手が決められた目的地に向かって電車を運転しているようなものだ。

そして監査役は、それを具に監視している車掌のようなもので異常に気づくと経営陣に知らせる。

「もっと速度を落とせ。」とか。

乗客は自分の目的地に向かって乗車してる。

目的地に着いたら下車するが、これはさしずめ社員でいうと定年退職を意味する。

だから各々年齢によって下車する駅が変わる。

たまに上りと下りを間違えて乗った乗客は、ハッと気づいて最寄りの駅で直ぐ降りる。

これは会社でいうと

「こんなはずではなかった。」

と気づき中途退職する人を指す。

その数が多ければ多いほどブラック企業というのだろう。

先ほどの満員電車の状態は会社でいうとなんだろう。

各々が身勝手な行動をとると車中が非常に不快な場所になる様に上手く機能してない職場をさす。

席に座った客はオフィスワークで立ってる客はハードワークといったところだ。

座った客は隣との間をきちんと守り各々のシートで回りに迷惑をかけない範囲で自由に新聞を読んだり音楽を聴いたりする。(今はマスク着用も必須だろう)

それが守れない客がいるとトラブルの元になる。

最悪、次の駅でその客だけ残し一斉に降りてしまうかもしれない。

そして乗客のいない路線は赤字となり、いずれ廃線になってしまう。

これは会社でいう倒産を意味する。

倒産する前に政府が介入し第三セクターが代行するあたり会社の国有化にそっくりだ。

車内でのマナーは会社の官僚制そのものだ。

各自決められた裁量の範囲で仕事をする。

俺が代わりに運転したいから交代しろと言い出す乗客はいない。

それを思ってたとしても今ではない。

運転する技量を持っていると認められた人しかできない。

会社もそうで周りからそう評価されないと経営陣には加われない。

では車内マナーに当たる官僚制についてじっくり見ていこう。

次の指示をしない女

いつも行く事務所で行きたくない事務所がひとつだけある。

僕はいろんな事務所を掛け持ちしてて日々行く事務所が変わる。

僕は、その事務所と関係ない別会社の者だ。

その事務所で1日働けば自分の会社で1日働いたことになり給与が支払われる。

その事務所の会社は毎月うちの会社から委託料を請求される。(その差額が利益)

今日は、その事務所に行く日だ。

朝、通用口から一般の社員に混じって入る。

他の社員と同じセキュリティカードを渡されているからだ。

このカードを渡されたのは、つい最近だ。

それまでは正面口からインターフォンで中にいる社員を呼び出しドアを開けてもらっていた。

ちょっと早めに事務所に着いた時は困った。

まだ誰も社員が出勤してないからだ。

幾度かこんな事が繰り返えされたのち、ある社員がドアを開け際に僕に言った。

「今度から1人で勝手に入ってきてもらえます?」

その職場には僕専用のデスクはない。

その日お休みしてそうな社員のデスクに座って待つ。(予想が外れて席を移ることも)

何時ものように、ある社員が僕を見つけて近寄ってくる。

「おはようございます、この伝票処理をお願いします。」

僕は、その指示のもと机のPCを開き仕事を始める。

小1時間もしたら、この仕事は終わる。

遠目に、その女の席を見る。

席に居なかったり電話してたら自分の席で待つ。

頃合いを見計らって女に近づく。

「すいません、作業終わりました。」

女は伝票を受け取りながら軽く会釈する。

その後4-5秒沈黙が続く。

僕は我慢しきれず尋ねる。

「他にお手伝いすることはありますか?」

「大丈夫です。」

ドキュメント大好き男

前の会社の話だ。

新たなシステム案件で新人2人にプログラミングを頼んだ。

10本位だったと思う。

それが予定通り進んでいるか進捗管理を僕と同期の男が担当した。

しばらくして彼は自分ひとりでは管理が大変なので誰か補助して欲しいと泣きついてきた。

そこで僕が補助を買って出た。

席が後ろだったので早速彼のもとに行き状況を聞いた。

彼はしたり顔で話し始めた。

「えっとプログラミングが終わるごとに、このプログラミング完了報告書を付けてソース(リスト)が私のところにきます。」

「そしてチェックしたのちプログラミング了承通知書を付けてソースを返します。」

「次にプログラムテスト結果報告書を付けてダンプ(リスト)がきます。」

「それをチェックしてプログムテスト了承通知書を付けてダンプを返します。」

「で今度、橘さんにも入ってもらうので(仮)も作りました。」

「え、どういうこと?」

「プログラマーから橘さんはプログラミング完了報告書(仮)を受け取って下さい。」

「今度は橘さんが私にプログラミング完了報告書をあげて下さい。」

「プログラムテストも同様?」

「はい。」

そのやり取りの後、僕は彼に一度も報告書をあげていない。

彼は自分のところに報告書が来ないので、さぞ進捗が遅れているとヤキモキしてただろう。

僕はプログラマー2人に付きっきりで時々自分もプログラミングやテストもやった。

プロジェクトは無事に予定通り終わった。

右裂き男

僕は今までいろんな仕事をしてきた。

精肉会社で働いた事もある。

ある日ひとり黙々と鶏の皮を剥いでいた。

右から左の向きに皮を剥いだが滑って上手く剥げない。

見かねて主任が近寄ってきて僕にアドバイスした。

「橘それじゃー皮は上手く剥げねー。」

「左から右に剥げば、ほら上手くむけるだろ。」

と優しく教えてくれた。

僕はその通り左から右へ剥いでいた。

しばらくすると今度は次長が僕の傍に寄ってきた。

じーっと僕の所作を見つめながら呟いた。

「橘そーじゃねー皮は右から左へ剥ぐんだ。」

「いえ鈴木主任が左から右へ剥げと言うので。」

「おい橘、俺と鈴木とどっちが偉いと思てんだ。」

「長谷川次長です。」

「そーだろ。だったら大人しく俺の言う事を聞け。」

次長は得意げに僕のそばを立ち去った。

僕は次長が立ち去ったあと鶏の頭と尻尾を逆にして右から左に向かって皮を剥いだ。

作業指示報告書

また僕が嫌いな事務所の話だ。

「次の指示をしない女」と題して書いた。

これを読んで、こう思ったのではないか。

「だったら、ずっとブラブラして定時になったら、さっさと帰ればいいのに。」

実は、それが出来ないからくりがある。

作業指示書の存在だ。

作業指示書と表題がなってるが僕は全く空欄の、この用紙を複数枚持っている。

枚数が少なくなると勝手にコピーする。

伝票処理など作業するたびに何時から何時までしたか、この用紙の空欄に僕が埋めていく。

そして最後に依頼主の印をもらい総務部へ出して退社する。

それなら作業報告書だろと言いたくなる。

してもない作業で空欄を埋めるくらいの悪知恵は僕にもある。

だが印を偽るまで僕は悪ではない。

だから何とか、この用紙の空欄を埋めようと僕は常に平身低頭だ。

ところが8月から規則が変わった。

印は依頼主でなく、その課の長に頂くことになった。(いつも席にいるとは限らないのに)

その課長さん日付の入った印を使う。

印をつく前ご丁寧にダイヤルを回して今日の日付に合わせていた。

辛い。

あとがき

近代資本主義が形成される経緯に当時の人々の信仰心が大きな影響を与えているとマックス・ウェーバーは説いた。

一見、経済行為と宗教活動は相容れないものに見えるが、そこに一貫性をウェーバーは見出した。

それが如何に画期的だったか社会学の創始者といわれる所以だ。

そうした背景に生まれたのが厳格な時間管理や金銭の会計管理そして官僚制だ。

そして、こんな格言も生まれた。

・時は金なり

・働かざるもの食うべからず

それらに共通するのが合理性と生産性だ。

あらゆる無駄を排除した行為のもと生まれた利潤を臆することなく将来に投資する。

その事こそ神に選ばれし者のみがなせる事だと経済人は信じたとウェーバーは説いた。

(追記 2021.8.3)

予定説と資本主義

マックス・ヴェーバーは論文「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中で「カルヴァン派の予定説が資本主義を発達させた。」と説いた。

救済にあずかれるかどうか全く不明であり現世での善行も意味を持たない。

すると人々は虚無的な思想に陥るほかないように思われる。

現世でどう生きようとも救済される者は予め決まっているというのである。

ならば快楽にふけるというドラスティックな対応をする者もありうるはずだ。

しかし人々は「全能の神に救われるように予め定められた人間は禁欲的に天命を務めて成功する人間のはずである。」という思想を持った。

そして自分こそ救済されるべき選ばれた人間であるという証しを得るために禁欲的に仕事に励もうとした。

すなわち暇を惜しんで少しでも多くの仕事をしようとした。

その結果増えた収入も享楽目的には使わず更なる仕事のために使おうとした。

そして、そのことが結果的に資本主義を発達させたというのである。

しかし宗教的経済行為に富の蓄積が功利的な傾向を持ち込んでいったとウェーバーは洞察した。

そして現代は信仰心が排除され近代的経済秩序のみが残った。

そこには合理性・生産性を追い求める人々の姿のみがある。

ウェーバーは予言した。

「精神のない専門人、心情のない享楽人。

この無のものは、人間性のかつて達した事のない階段にまで登り詰めた、と自惚れるだろう。」と

つまりウェーバーが嘆いたのは崇高な行為が自ら汚し野蛮になる様だ。

各々現代人がもはや自ら律する精神を失った以上欲が至るところで現れる。

それがブラック企業を産むのだ。

今日もいつもの電車に乗って職場へ行き、いつもの電車で帰宅した。

車内は誰も一様にマスクをし無言でスマホの画面を見入っている。

車窓から地平線の夕日を眺めているのは僕だけか。(つづく)

(追記 2021.7.26)

今日バスの車窓から本当に夕日を見た。(そう本当はバスなのだ)

涙がこぼれそうになった。

理屈じゃない。

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