橘たかし no 皆の仲間: 2014年5月7日水曜日

2014-05-07

第1回 ブラック企業とは私の就労経験から言える事

はじめに

今、ブラック企業と言う言葉が就活情報誌、マスコミ、インターネット掲示板などで良く目にする。

語源は、あるIT企業に勤める若者が発した事が、きっかけと言われている。

それは2000年代になってからの事で私が就職した1980年代には全く無かった。

ではブラック企業の様な劣悪な環境は無かったかと言えば確かにあった。

しかし、その内情は単純なものではない。

その事を判ってもらいたく投稿する。

入社

私が大学生の時、公式に就職活動が認められていたのは10月1日からだった。

しかし私は就職に全く興味がなく勉学に勤しむよりアルバイトに重きを置いていた。

だから貯蓄が100万円以上あり、それを学費に当て留年するつもりだった。

ところが私の数少ない親友の1人が内定が決まったと私に告げに来た。

聞くと100人以上も採用しており自分は1次採用枠で応募したが履歴書と人事担当部長との面接あと縄跳びによる適正検査を経て2、3日で内定通知が来たと言うのだ。

私が就職に消極的だった理由に自分は口下手で競争意識が低く自己アピールなど全くもって苦手で毎日、定時に満員電車にもまれて出勤するなど真っ平御免だった。

しかし親友の話を聞くと結構、好条件な会社である事に気づいた。

まず勤務地が郊外である事だ。

つまり都心に向かう電車と逆の電車に乗るので空席があり座って出勤できる。

採用人員が多く私の様な口下手でも採用される可能性が高い。

更に、これを言ってしまうと会社が特定されてしまうが都道府県ごとに営業活動が制限されており域外活動を禁止する旨を法律で規定されていた。

つまり東京都なら都内でしか働けない訳で都外に転勤がないと踏んだわけだ。

しかし最後の域外活動の禁止については思いもよらない事に発展してしまうが後述する。

そこで私は、この1社のみ、ほんの軽い気持ちで応募する。

これも会社が特定されてしまう事だが当時、よくアルバイトしていた先がスーパーなど小売業だった。

スーパーでのアルバイトの仕事は男なら品出しと値付けだ。

今では死語だが当時は商品の1つ1つに値札(ラベル)を貼る作業があった。

ラベラーと言う特殊器具に値段をセットして連続して値段が印字されたラベルを打ち出し商品に貼る作業だった。

これには、ちょっとしたコツがあり商品をダンボールから出す前に綺麗に商品がダンボールに収まった状態で、その側面に連打して貼っていく。

それをレジで金額を打つ際どこに値札が貼ってあるか見付けるのに苦労させた面はある。

レジは女の仕事とされ全くさせてもらえなかった。

つまり業種も、まんざら知らない分野でもなかった。

しかし、ここで特筆すべきは、この会社が100人以上の正社員を採用していた大きな理由は別にあった。

宅配事業が伸びていたためだ。

これは入社後、知った事だが宅配で商品を注文する際に注文用紙に印字してある商品名の下に注文数を記入する箇所がある。

そこに数字を記入し注文用紙を商品を配達に来た社員に渡せば、その商品が注文した数だけ翌週に届く仕組みだった。

そして、これからが重要なのだが、この回収された注文用紙をOCRと言う特殊な機器に通すと自動的に注文数をデジタル化出来た。

そのままコンピュータで注文→発注→納品→集金を一気に自動化したため利便性がよくなり利用者が増えた。

つまり宅配を担う人材が欲しかった訳だが私は幸運にも運転免許を持っておらず絶対に宅配には配属されないと踏み応募した。

もう一つ言わなければならない事がある。

それは履歴書についてだ。

今でこそプリンタで印字した履歴書を良しとするのは当たり前だ。

当時はワープロなるものが、あった事はあったが高価で個人が買える代物で無かった。

しかし私はプリンタで印字した履歴書を提出した。

何故そんな事ができたか、それは日本語タイプライタなる物を使ったからだ。

これならワープロより安価で100万円貯蓄がある私なら買えた。

日本語タイプライタとは、あいうえ順の入力ボードに1行分の入力内容が液晶に表示され1行入力が終わるごに印字する。

ワープロの様なレイアウトを自由に変更したり画像を貼り付けたり罫線を引くといった機能は全くなかった。

そこで市販の履歴書に神憑り的微細な調整をして履歴書を仕上げ提出した。

(追記 2021.6.24)

日本語タイプライタで思ったのが今のSNSは、正にこれと同じだ。

1センテンスごとに送信するからだ。

寧ろ日本語タイプライタは1センテンス印字して誤字脱字に気づいたら、その用紙は破棄するからまだ良い。

SNSの場合そのまま相手に届くからコミュニケーションツールとして如何なものか。

当時の人事担当部長は私の履歴書をしげしげ見詰められながら

「君、こういうの好きなの?」

と尋ねた。

そして見事に私は2次採用枠で内定をもらった。

それから数ヶ月経ってから正式な所属先が決まったと通知が来た。

コンピュータ部門だった。

その時、私はワクワクした。

それは今までコンピュータなど何の知識もなく未知の分野だった。

が薄々、成長分野だとは気づいていたからだ。

今でこそ派遣社員の巣窟となりブラック企業の温床となり易い分野で有名だ。

が当時は花形職業として自慢できた。

しかし、これも、ご察っしの通り仇となった。

ちなみにコンピュータ部門に配属された理由は例の履歴書のせいだったと自分では分析してる。

しかし親友も同じコンピュータ部門に配属されたのは驚きだった。

また同じ仲間と一緒に仕事が出来るという安堵感もあった。

しかしこの親友とも後に仲たがえする。(つづく)