単純に考えれば良い事そうだが実は、さまざま弊害もある。
たとえばこうだ。
成功報酬を支払うのはいいが、そのパイが決まっている。
つまり仮に100人働く会社でボーナスを支給するとして個々に支払う額は業績により4つのグループに分ける。
そして個々の支払うボーナス額の比重を変える。
Aグループ・・・110% 25人
Bグループ・・・100% 25人
Cグループ・・・95% 25人
Dグループ・・・90% 25人
すると何か妙なことがおきる。
まずパイが増えない事はさて置き上のような比重では基準となるBグループで満額もらえるボーナスが実は半分以上の社員はもらえない。
トータルで7.5%ダウンでしか受け取れないという制度では社員の脳裏には、こういった発想しか生まれないのではないか。
「自分の実力からしてトップクラスは無理である。
現に今までの人生でトップクラスだった経験もない。
だから満額のBグループを狙おう。
故に大それた言動は慎みミスだけは無くそう。」
これではダメだ。
何故なら、これだけ構造転換が叫ばれニュービジネスが求められている昨今に社員達は事なかれ主義に走ってしまい何も新しいことは生まないまま既存のマニュアルに忠実な行動しかしない。
自分自身は
「ああしたらいい。
Bグループ・・・100% 25人
Cグループ・・・95% 25人
Dグループ・・・90% 25人
すると何か妙なことがおきる。
まずパイが増えない事はさて置き上のような比重では基準となるBグループで満額もらえるボーナスが実は半分以上の社員はもらえない。
トータルで7.5%ダウンでしか受け取れないという制度では社員の脳裏には、こういった発想しか生まれないのではないか。
「自分の実力からしてトップクラスは無理である。
現に今までの人生でトップクラスだった経験もない。
だから満額のBグループを狙おう。
故に大それた言動は慎みミスだけは無くそう。」
これではダメだ。
何故なら、これだけ構造転換が叫ばれニュービジネスが求められている昨今に社員達は事なかれ主義に走ってしまい何も新しいことは生まないまま既存のマニュアルに忠実な行動しかしない。
自分自身は
「ああしたらいい。
こうしたらいい。」
と思いつつも、もし提案して悪い評価を受けた場合のリスクを回避する行動をとる訳だ。
社員だって馬鹿じゃない。
だったら、こうしたらどうか。
Aグループ・・・110% 25人
Bグループ・・・105% 25人
Cグループ・・・100% 25人
Dグループ・・・90% 25人
なんとなく
「5%増し位の高評価なら自分も食い込めそうだ。
と思いつつも、もし提案して悪い評価を受けた場合のリスクを回避する行動をとる訳だ。
社員だって馬鹿じゃない。
だったら、こうしたらどうか。
Aグループ・・・110% 25人
Bグループ・・・105% 25人
Cグループ・・・100% 25人
Dグループ・・・90% 25人
なんとなく
「5%増し位の高評価なら自分も食い込めそうだ。
だったら頑張ろう。」
とならないか。
しかし実は次にまた大きな弊害が待っている。
同一パイを皆で奪い合うという障害だ。
要するに個人ごとの競争原理だからチームワークが乱れるだろう。
たとえば、あるプロジェクトに参加しても、こいつよりは高い評価を得るためにはどうしたらいいかといった発想しか生まれない。
何故なら仮に、そのプロジェクトがみごとに成功しても参加した人数が何故か26名だったりするからだ。
つまり誰かはBグループでなくCグループに甘んじなければならない。
誰だとなった時、周りを蹴落とし始め挙句の果て、お互いの足を引っ張るから、そのプロジェクトが失敗したりしてC・Dグループになってしまったりするからだ。
こういった弊害をなくす為には無制限に高い評価を得た者には、まんべんなく高いボーナスを与えればいい。
しかし、こんどは会社側の頭が痛い。
それでは一体幾らで予算を組めばいいのか。
つまり先立つお金は、どこかで工面しなければいけない訳で、その金額を決めなければ経営は成り立っていかない。
だから成果主義はよくないといった発想になるのだろう。
はたしてそうか。
僕は、この事について以下の様な提案したい。
つまり成果を高く評価することは、いたって自然でよくない事ではない。
誰だって褒められれば嬉しい。
だから
(1)拝金主義的な発想は止めよ!
つまり何か高評価を、すべてお金に換算してしまおうという発想が古い。
これだけデフレで物余りなのだから現物支給でも逆に構わないと思う。
その時事前に社員一人一人に希望するものを聞くのである。
僕は米。
僕はビール。
僕は旅行。
要望は様々で手続きも複雑化するが逆に、そういった事に手間隙かけてやれば社員にも親身さが伝わる。
100人程度の社員の要望なら女子社員1人を臨時で雇い入れ一月もあればまとまるはずだ。
そして今やインターネットに繋がるパソコン一台あれば物資の調達も簡単にできるから別に生身の人間が駆けずり回らなくても済む。
(2)直接、成果に結び付かなくても、その過程を評価しよう!
現代は将にゼロ・サムゲームだ。
直接利潤を生まなければ全く価値がないとみなされがちだ。
たとえば、あるシステムを開発する際結果として何もトラブルなく、そのシステムが稼動してくれれば、その過程の少々の手抜きは大目に見てくれるだろう。
しかし重大なバグでも発生させれば、どういった工程を経たか厳重にチェックされ、そんなに重要でもない項目が、さも、この重大なバグのトリガーになったが如く罵倒され評価も頗る悪くなる。
したがって結果がすべてになってしまい、いくら個々がいい働きをしても全く評価に値しなくなる。
実は皆この事にうんざりしているのだ。
つまり、こんな低成長時代に莫大な利潤を生むケースなどないにも関わらず経営陣は、今度の企画なら絶対大当たりだなどと胸を張る。
ついそれを信じて付いていくが、やっぱり全く売れなくても企画のせいにせず個々の営業努力が足りないと評価され内心、皆「カチン」と来ているのだ。
だったら自分一人で売って来いと言いたいのだ。
だから、ここは今の時代背景について労使で充分な共通認識を持つべきだ。
これが意外と、どの企業もできてない。
株主への配当のことばかりきになっている経営陣が実に多い事か。
そして猪一に大事にすべき従業員のことをほっぽいて誰だか分りもしない(株の売買でころころ株主名簿が書き換わる意)人間のことを気にしすぎる今の経営陣って何か情けない。
じゃなく確かに叱咤も必要だが、それ以上に激励してやろう。
でなくても皆腐りかけているのに、ここで、またぎゃふんとすれば全くやる気も失せるだろう。
(3)今日の夕飯のことより明日のディナーの話を語ろう!
今晩、何食うといって牛丼・ラーメン・ハンバーガーの話題より明日は、どこか有名なレストランか料亭で何を注文するかの話の方が大いに盛り上がるはずだ。
つまり今日も明日もコロッケなら皆「えーまた」と心が沈んでしまうが明日でなくても近々に久々の高級食材にありつけると思わせた方が、よっぽど精神衛生上いいと思う。
だから最近は、どこも全くやらなくなった忘年会をやるべきだ。
しかも一品300円以下といった格安居酒屋でなく赤蟹シャブとか北欧フレンチとか若者が普段口にしたこともない料理を振舞う所に連れて行こう。
そうすれば彼らもリフレシュし慣れないお酒で多少は饒舌になり普段は思ってもみなかった奴から思わぬグッドアイデアを頂戴するかもしれない。
もし、この提案を否定する企業であれば、その将来は短いと思っていい。
また、そういった企業をだらだらと延命させるのでなく速やかに市場から排除した方が、かえって市場が適正化・活性化でき繁栄していくと想う。
とならないか。
しかし実は次にまた大きな弊害が待っている。
同一パイを皆で奪い合うという障害だ。
要するに個人ごとの競争原理だからチームワークが乱れるだろう。
たとえば、あるプロジェクトに参加しても、こいつよりは高い評価を得るためにはどうしたらいいかといった発想しか生まれない。
何故なら仮に、そのプロジェクトがみごとに成功しても参加した人数が何故か26名だったりするからだ。
つまり誰かはBグループでなくCグループに甘んじなければならない。
誰だとなった時、周りを蹴落とし始め挙句の果て、お互いの足を引っ張るから、そのプロジェクトが失敗したりしてC・Dグループになってしまったりするからだ。
こういった弊害をなくす為には無制限に高い評価を得た者には、まんべんなく高いボーナスを与えればいい。
しかし、こんどは会社側の頭が痛い。
それでは一体幾らで予算を組めばいいのか。
つまり先立つお金は、どこかで工面しなければいけない訳で、その金額を決めなければ経営は成り立っていかない。
だから成果主義はよくないといった発想になるのだろう。
はたしてそうか。
僕は、この事について以下の様な提案したい。
つまり成果を高く評価することは、いたって自然でよくない事ではない。
誰だって褒められれば嬉しい。
だから
(1)拝金主義的な発想は止めよ!
つまり何か高評価を、すべてお金に換算してしまおうという発想が古い。
これだけデフレで物余りなのだから現物支給でも逆に構わないと思う。
その時事前に社員一人一人に希望するものを聞くのである。
僕は米。
僕はビール。
僕は旅行。
要望は様々で手続きも複雑化するが逆に、そういった事に手間隙かけてやれば社員にも親身さが伝わる。
100人程度の社員の要望なら女子社員1人を臨時で雇い入れ一月もあればまとまるはずだ。
そして今やインターネットに繋がるパソコン一台あれば物資の調達も簡単にできるから別に生身の人間が駆けずり回らなくても済む。
(2)直接、成果に結び付かなくても、その過程を評価しよう!
現代は将にゼロ・サムゲームだ。
直接利潤を生まなければ全く価値がないとみなされがちだ。
たとえば、あるシステムを開発する際結果として何もトラブルなく、そのシステムが稼動してくれれば、その過程の少々の手抜きは大目に見てくれるだろう。
しかし重大なバグでも発生させれば、どういった工程を経たか厳重にチェックされ、そんなに重要でもない項目が、さも、この重大なバグのトリガーになったが如く罵倒され評価も頗る悪くなる。
したがって結果がすべてになってしまい、いくら個々がいい働きをしても全く評価に値しなくなる。
実は皆この事にうんざりしているのだ。
つまり、こんな低成長時代に莫大な利潤を生むケースなどないにも関わらず経営陣は、今度の企画なら絶対大当たりだなどと胸を張る。
ついそれを信じて付いていくが、やっぱり全く売れなくても企画のせいにせず個々の営業努力が足りないと評価され内心、皆「カチン」と来ているのだ。
だったら自分一人で売って来いと言いたいのだ。
だから、ここは今の時代背景について労使で充分な共通認識を持つべきだ。
これが意外と、どの企業もできてない。
株主への配当のことばかりきになっている経営陣が実に多い事か。
そして猪一に大事にすべき従業員のことをほっぽいて誰だか分りもしない(株の売買でころころ株主名簿が書き換わる意)人間のことを気にしすぎる今の経営陣って何か情けない。
じゃなく確かに叱咤も必要だが、それ以上に激励してやろう。
でなくても皆腐りかけているのに、ここで、またぎゃふんとすれば全くやる気も失せるだろう。
(3)今日の夕飯のことより明日のディナーの話を語ろう!
今晩、何食うといって牛丼・ラーメン・ハンバーガーの話題より明日は、どこか有名なレストランか料亭で何を注文するかの話の方が大いに盛り上がるはずだ。
つまり今日も明日もコロッケなら皆「えーまた」と心が沈んでしまうが明日でなくても近々に久々の高級食材にありつけると思わせた方が、よっぽど精神衛生上いいと思う。
だから最近は、どこも全くやらなくなった忘年会をやるべきだ。
しかも一品300円以下といった格安居酒屋でなく赤蟹シャブとか北欧フレンチとか若者が普段口にしたこともない料理を振舞う所に連れて行こう。
そうすれば彼らもリフレシュし慣れないお酒で多少は饒舌になり普段は思ってもみなかった奴から思わぬグッドアイデアを頂戴するかもしれない。
もし、この提案を否定する企業であれば、その将来は短いと思っていい。
また、そういった企業をだらだらと延命させるのでなく速やかに市場から排除した方が、かえって市場が適正化・活性化でき繁栄していくと想う。