橘たかし no 皆の仲間: 2021年8月1日日曜日

2021-08-01

コロナ禍の私の素直な気持ち

2021年7月31日、東京の新型コロナ新規感染者が4千人(4,058人)を超え過去最多を更新した。
全国の新規感染者数も1万人を優に超え首都圏の問題が全国に拡大する様相になっている。

かく言う私は日々のネットニュースで新型コロナの事は、それなりに知ってはいるが相変わらず怠惰な生活をおくっている。

だが、これはただならぬ嫌な予感がするので、こうやって投稿する。

ここで改めて今回のコロナについて真面目に勉強した。

参考にしたのが毎日新聞が作った新型コロナ図解でわかる!新型コロナ2020-21だ。

判った事は私は今回のコロナについて全く無知だったことだ。

たとえば変異種と変異株の違いなんて知らなかった。

普段は変異、変異と話すので、こんな違いに全く無頓着だった。

抗原検査と抗体検査の違いについても同様だ。

そんな無知な状態で日常的に政府批判を平気でした。

今回のコロナは季節性インフルエンザと変わりはしないとか緊急事態宣言ばかりやらないで、もっと経済政策に力を入れるべきだといった考えに傾倒していた。

(追記 2021.8.12)

今後を予測する上で分岐点になりそうな事が起きた。

哲学系ユーチューバーじゅんちゃんの藤井聡氏への痛烈な批判だ。
同時にゲスト出演した適菜収氏の中野剛志氏との共著「思想の免疫力」の喧伝だった。

さっそく本著の第6章を読んだ。

直観した事は同じ保守論者が相手を罵って結局現政権つまり新自由主義者が温存されるだけだ。

新銀行法を是認する方向へ又一歩近づいた。

新銀行法とは銀行が地域企業つまり中小企業への出資比率を現行厳しく制限された条項を撤廃するものだ。

つまり行き詰った中小企業を銀行が100%出資し銀行のもと好き勝手に再建できる道を開いた。

つまり平成バブル崩壊時にハゲタカファンドが日本の企業(ダイエー、国際興業など)に行った仕打ちが又始まろうとしている。

中野剛志氏は経済評論家なのだから新銀行法へ一番に言及し警鐘を鳴らすべき時に何を血迷っているのだろう。

氏の近著がMMTを含む経済について漫画を取り入れた全くの初心者向け解説本だ。

それまでは「保守とは」といった一般大衆受けしない固いテーマの本ばかりだった。

私は「あの中野剛志氏にして肩書が経済評論家になった途端何で一般大衆に迎合するのだろう。」と気になっていた。

結局「生業」なのかと勘繰ってもいた。

そんな時だったので本著も非常に解せない内容だ。

中野剛志氏と藤井聡氏は一時期は同じ京都大学で教鞭をとった者同士だ。

だったら知人として藤井氏に個人的に言及すれば良いのものを何で新書にして大衆に面白おかしく流布しないといけないのか。

私は陰謀論を信じない方だ。

だが安藤裕氏の議員辞職といい何かそういった力が働いているように思えてしきりだ。

疫病学的な新型コロナウィルスの脅威だけでなく思想までも容赦なく駆逐する今の事態は何だ。

(追記 2021.8.22)

橋下徹や藤井聡が平時は全く別の立場だった人間(大阪都構想)がコロナ禍で同じむじな(貉)に成り下がるのは何故か?

ひとつの論拠になると思われるのが初期の段階での新型コロナの日本での受取り方だ。

直近の(この場合100年前のスペイン風邪は除く)サーズやマーズといった過去の新型コロナウィルスの発生時日本では全く感染者を出さなかった。

空港の水際作戦が上手くいったともいわれている。

ところが今回は見事に日本でも蔓延した。

つまり初期の段階では過去の事例から日本では問題にならないとする根拠しかなかった。

だから今回も大問題にならないという見立て(先入観)で理解しようとして一連の楽観論に陥ってしまった。

更に、この論拠を補足するとサーズやマーズが発生した10-20年前も橋下にせよ藤井にせよ知識人の地位(橋下など行政の長だ)にあった。

当然その立場でサーズやマーズに関わった。

だから新型コロナウィルスについて全くの初見でない自負が彼らにはあった。

つまり舐めてたのだ。

後は皆同じ知識人(「知識人とは何か」を参照)の連中なので自らの過ちは認めない姿勢は同じで増々ドツボに嵌ったと思う。

因みに彼らを擁護するとしたらこうだ。

彼らはプロ野球に例えると常にレギュラーで毎試合出場選手だ。

その彼らに右打ちを左打ちに転向したらとアドバイスしてるようなものだ。

つまり今シーズンは無理で来シーズン春季キャンプで試してみて、これはいけると確信したら転向するんだろう。

その辺の草野球選手のように打席ごとに右打ちを左打ちに変えてみたりするお調子者と違う。

何か今までの日常の延長の中での出来事と捉え考えてしまっていた。

今回は全く別次元の話だ。

去年の今頃は新規感染者数も全く成りを潜めて終息したかに思えた。

(注記 2021.8.20)

「終息」は「収束」ではない。

あの時もっと真摯に幹を討っていれば今こんな事にならなかった。

もう取り返しがつかないかもしれない。

これが私のとり越し苦労だったら構わないが、そうなって欲しい。

(追記 2021.12.4)

東京都の新規感染者数は14人で重症者は4人、死者は1人だった。

(追記 2022.1.6)

政府はオミクロン株による新型コロナウィルス第6波を宣言した。

(追記 2021.9.2)

私は憲法から死生観について述べたいと思う。

日本国憲法では基本的人権を保障している。(憲法13条)

基本的人権とは人が人として生まれながらに当然に有す基本的な権利をさす。

具合的には生命、自由および幸福の追求に対する国民の権利については公共の福祉に反しない限り立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とすることだ。

これが今の日本人の唯一の享有の価値観である。

すると、ここから逸脱した死生を意する価値観は国民に享有することはできない。

もちろん思想や良心の自由も憲法で保障されている。(憲法19条)

ただし単なる事実の知・不知には保障は及ばない。

つまり虚偽の事実(マスクは必要ない、コロナワクチンは効かない等)を述べることまで憲法で保障されてない。(むしろ刑法169条の偽証罪にあたる)

よって憲法を改悪しない限り小林氏の主張を正当化することはできない。

この一連のコロナ禍の騒動も今一度、日本国憲法に立ち返って当たらなければ少なくとも今の日本人にはそれ以外の共通したコンセンサスが見出せない以上手はない。

また過去最高の新型コロナウィルス感染者が発生している今、憲法論議などやってる暇はない今の憲法に則り一つでも多くの命を救う方策に尽力するべきだ。

(追記 2021.8.25)

コロナ禍とは

コロナ禍を飛行船にたとえると旅客機と月ロケットの違いに似ている。

平時が旅客機に乗ってるようでコロナ禍が月ロケットに乗船した様だ。

旅客機は日常的に世界を飛び回っている。

一方月ロケットはある国が数年に1回発射される程度つまり有事だ。

日常的な旅客機は乗組員(つまり乗客)はフライト中はあたかも地上にいるようなもてなしを受けリラックスできる。

一方非日常の月ロケットは特別な失敗が許されないあらゆる危険を想定して身の回り、および装備に、これでもかと言わんばかりに重厚に仕上がって訓練しないと体がもたない。

つまりコロナ禍は有事だから、それくらい幾重にも危機を想定した出立(マスク着用などその典型)にならざる負えない。

それを乗組員のその場の我がままで負担を少しでも軽くしてやろうと装備を薄手にしてみたりした途端そこからガスが漏れ空中爆発するかもしれない。

つまり乗組員も月へ行くことの事の重大さを十二分に事前の教習で叩き込み、それなりに仕立てておかないと済まない。

にもかかわらず国民に普段通りの心持ちでいろと顔色をうかがっているようではコロナ禍を克服できない。

そんなことも良くわかってない知識人が多いことか。

嘆かわしい。