橘たかし no 皆の仲間: 2021年6月19日土曜日

2021-06-19

私的TV50年史

始めに

新たに27インチ4Kモニターを買った都合、僕の部屋にあったTVが引退した。

置くスペースがなくなったのだ。

今は僕のベットの横で全く配線がはずされた状態で静かに余生を送っている。

もう、このまま一生TVは見ないのかとふと思った。

このTVで見ないにしても何か新しい手立てを考えないと、と思い始めた。

今巷で流行っているnasneも考えたが3万円以上して高価だから決断できない。

全く場所をとらずに新たにTVを見る方法はないものかと思案した。

結局PCIe接続のTVチューナーをPCに組み込む事で落ち着きそうだ。

だが、このTVチューナーも2万円近くして本当に注文して良いか決断できない。

(追記 2021.6.20)

これはもうポチるしかないでしょう。


製品名Xit Board(サイト ボード)
型番XIT-BRD110W / XIT-BRD110W-EC
一般名称PCIe接続 TVチューナーボード
JANコード4935508022352 / 4935508022413
外形寸法約110.0mm (W) × 68.5mm (D)
(ブラケット・突起部除く)
質量約55g
消費電力約4.7W
※BS / CSアンテナ電源出力時は約10W
※電源の入切はアプリで設定します。
使用温度範囲温度:5℃~55℃
湿度:10%~80%RH(結露なきこと)
チューナー数2
インターフェースPCI Express×1(ver 1.1)
アンテナ入力×1(F型コネクタ)
※地上デジタル・BS / 110度CSデジタル混合タイプ
受信放送地上デジタルテレビ放送(ISDB-T)
※周波数変換パススルー方式対応
BS / 110度CSデジタルテレビ放送(ISDB-S)
取得規格VCCI Class B
内容品本体
ロープロファイル用ブラケット
miniB-CASカード(使用許諾契約書添付)
セットアップガイド(兼保証書)
※アンテナ線は付属していないため、市販のF型コネクタのケーブルを準備してください

結局ポチってPCにも接続した。

同じネットワークならスマホからでもTVが観れる。

(追記 2021.7.19)

スマホからTVが観れなくなりました。

原因を調査中です。

(追記 2021.8.24)

ネットワーク設定をやり直した。

上手く観れるようになった。

またFire TV stickからは未サポートのためTVが観れません。

これらをレビューするかは検討中だ。

思いは巡って「そもそもTVなど本当に見る必要があるのか。」と原点回帰した。

そんな時、改めて産まれてこの方半世紀たつがTVについて振り返ってみるのも悪くないなと思った。

子どもの頃

僕の生まれ育った町は盆地で近くの山の頂上にはTV塔があった。

僕の家の庭からも頂上の2棟のTV塔がよく見えた。

1棟は公共放送用もう1棟が民放のものだ。

だから家々の屋根のTVアンテナは皆山の頂上に向けて奇麗に立っていた。

この山へは幾度となく登った。

家族で山菜狩りや学校から遠足でも登った。

山の麓までは自転車で行き近くの林に自転車を隠した後頂上までは徒歩で2時間ほどで着いた。

頂上からは町が一望でき隣町まで晴れた日はよく見えた。

Googleマップなんてなかったから、これが地理の生きた教材だった。

小学校へあがるまではVHFしか受信できなかった。

NHKが2チャンネル、民放が日本テレビ系列とTBS系列の計4チャンネルが映った。

小学生になった頃UHFも受信できるようになった。

でも当時のTVは内臓された受信機ではVHFまでしか映らなかったので別にコンバータが必要だった。

UHF用アンテナとコンバータを別に付けるとフジテレビ系列が映るようになった。

僕が物心ついたころあったTVは4本脚の14型白黒(日立製)だった。

カラーTVになったのは小学生3-4年の時だった。

近所では遅い方だった。

だから近所の友達の家へ遊びに行って日が暮れても、その家のカラーTVで「巨人の星」を観てやろうとして何遍も親に怒られた。

僕の両親はとても実直で厳格だった。

酒も煙草もたしなわなかった。

朝は7時には家族で食卓を囲んでいた。

父はご飯に味噌汁、他はパンとコーヒーだった。

夜は6時には父は帰宅し夕飯だった。

食事中のTVは厳禁だった。

だから観るTVもNHKばっかりで民放の番組はほとんど観なかった。(親は連想ゲームが好きだった)

僕は小学生から高校生までTVを、ほとんど観せてもらえなかった。

でも小学校低学年までは毎週土曜日は夜9時の「キーハンター」までは観せてくれた。

(追記 2021.8.19)

「キーハンター」で人気を博した俳優・千葉真一さんが死去されました。

82歳でした。

千葉さんは新型コロナの感染による肺炎のため闘病されていました。

また一人私の恩師が亡くなりました。

心よりご冥福をお祈りいたします。

合掌。

だから僕は「ウィークエンダー」や「11PM」を観たことがない。

翌朝の登校時よその生徒が昨晩の番組について話してる会話についていけなかった。

TVを観せてもらえなかった家は僕だけでない。

同級生の女も観せてもらえてなかったらしい。

大学受験も終わった頃電車の中で僕にぼそっと言った。

「大学生になったら浴びるようにTV観たい。」

大学生の頃

大学受験で1人僕は上京した。

新橋駅近くのビジネスホテルに1週間ほど滞在した。

部屋のTVを独り占めできる環境で僕がTVを観ない訳がない。

特に有料放送は食い入るように毎晩観た。

あれで良く大学に合格したなと今になって思う。(当然合格したのは滑り止め1校のみ)

東京での1人暮らしが始まって親に買い与えられたTVは14型カラー(サンヨー製)で色はシルバーだった。

最初は埼玉に住んでたが半年もしない内に友達がいる都内へ引っ越した。

しばらくは室内アンテナで我慢していたが映りが悪くて自腹でアンテナを立てた。

アパートなので自分の部屋の外へアンテナなんて立てれないから隣の大家さん家の2階の物干し場の隅に業者を呼んで立てた。

1万円以上はかかった。

だから隣の大家さん家から僕の部屋まで長いケーブルがむき出しでのびていた。

そのアンテナは幾度の台風でだんだん傾いていった。

僕は大学生の分際でビデオデッキを持っていた。

ビデオデッキは4ヘッドがもう主流だったが高価で手が出ないので2ヘッドで我慢した。

池袋ビックカメラの店頭にダンボールごと積まれたシャープ製VHSビデオデッキ(99,800円)を見つけた時躊躇なく買った。

その時のTVにはコンポーネント端子なんてまだなかった。

アンテナ端子から割り当てられてないチャネルに信号を流す手法で見れた。

僕がビデオデッキを買ったと友達づてで話が広まった。

多いときは4畳半のアパートに5人くらい友達がおしかけてビデオ鑑賞がはじまった。

僕は眠くて4畳半の隅で丸くなってるのをよそに友達は朝まで鑑賞にふけっていた。

社会人の頃

社会人になっても4畳半のアパート暮らしは10年以上続いた。

住まいより物にお金をかけたかった。

当時カセットデッキはWカセットが当たり前だった時代どうしてビデオデッキはWデッキがないんだろうと思っていた。

そこでビデオとシテムコンポーネントが一体になった製品(フナイ製)が発売されたのを期に一緒にビデオデッキとTVも新調する事にした。

池袋ビックカメラでトータル10万円で譲れと店員と交渉したら快諾してくれた。

TVは20型にこだわったが在庫がなく19型(NEC製)で妥協した。

そしてビデオ2台を繋げてダビングできる様にした。

レンタルビデオ屋で借りたビデオにはコピーガードが既に施してあった。

でもフナイ製ビデオデッキには通用しなかった。

薄っすら暗くなる程度で十分に鑑賞にたえた。
帰郷して東京へ夜行バスで戻る際、車中で退屈しないようポータブルTV(カシオ製)を衝動買いした。

移動するバスの中でウィンブルドンテニス中継を観た。

液晶の画像は荒く行きかうボールの行方は全く識別できなかった。

選手の動きだけで雰囲気を味わった。

単3乾電池4本で映ったが2-3時間で電池が切れた。

現在

今我が家のリビングに鎮座するTVは日立Wooo32型液晶TV(2007年製)だ。

当時、液晶パネルの薄さが業界最小と謳われ僕はTVショッピングでいたく気に入って注文した。

月々6,800円の36回払いで金利手数料は無料だった。

このTVはiVDR対応だった。

しかしチューナーを1つしか搭載しておらず録画が始まるとTV画面は録画番組に勝手に切り替わった。

そしてセカンドTV(DXアンテナ製)を2010年に近所のショッピングセンターで2万円台で買った。

このTVにも大変世話になった。

一時期はこのTVをPCモニターとしても使っていた。

そして、このTVがこの度めでたく現役を退いた。

最新情報

今年僕は大きな体験をした。

それはAndroid TVを試したことだ。

1月、Fire TV Stickを買った。

リビングの32型液晶TVに繋げた。

それまでは画像データをSDカードを介して映していた。

表示速度も遅く何とかならないかと思っていた。

これを繋げてからAmzon Photosを介して映している。

4月、32型液晶TV(TCL製androidシステム搭載)を買った。

詳細は追って報告する。

6月、Fire TV Stick 4Kを買った。

僕の部屋の4Kモニターに繋げた。

4K画面も普通に映っている。

難点はTVと謳ってあるだけにモニター接続だと音量調整が専用リモコンからはできない。

普通のTVだと赤外線信号を同期させ音量調整が出来る。

あとがき

今TVの視聴時間はゼロだ。(TVerすら見てない。)

(追記 2021.7.15)

僕は今深く反省している。

何で、こんな軽薄なことが言えたんだと反省している。

TVerでドキュメンタリー解放区を見たからだ。

TVには映画にもラジオにも、ましてネットにも出来ない事がある。

何か、そのことが頭からすっぽり抜け落ちていた。

軽薄短小な浮かれた自分を恥じた。

そして、もっと真面目に生きようと思った。

本編で詳しく書いてるはずだが大学生の頃は24時間TVをつけっぱなしなんてざらだった。

一人暮らしの寂しさを紛らわすためTVをつける行為は絶対だった。

今風に言えばYouTubeにかじりついてるのと変わりないのか。

学者っぽく言えばラジオから映画、テレビそして今はネットって流れで片付けられちゃう。

栄枯盛衰ってやつだ。

(追記 2021.7.16)

TVを語る際2つの側面がある事を忘れてはならない。

1つはメディアとしての側面もう1つがコンテンツとしての側面だ。

つまりTVのコンテンツをネットで流すのも有りだしネットのコンテンツをTVで流すのも有りだ。

したがって、ここで僕が述べているのはメディアとしてTVよりネットが優位と述べた。

だが果たして将来メディアとしてTVがなくなりネットのみになるかは、もっと考察が必要だ。

たとえば平常時だけでなく災害時のメディアの在り方とか若者でなく高齢者とメディアの関わりあい方だ。

それは何事においてもつきものだと言ってしまえばお終いだが、これだけは言わせてくれ。

TVだって、このままでは終わらないと思う。

その予感をさせるのがローカル局の存在だ。

TVerでもローカル局が制作した番組を紹介しているがYouTubeではもっと膨大なコンテンツを見ることができる。

たとえば茨城テレビの番組だ。

県内のあるお店を訪問して、そこで出される食べ物を完食するいたってシンプルなものだ。

ただ演者さんが奇麗なので画がもつ。

企画自体はマンネリしてるが演者の魅力で息の長い番組なってる。

こうした試みはキー局のみでは中々できない。

明治維新が薩摩、長州、土佐から起こったように何か大きな変革は地方からおこるものだ。

また追記する。