橘たかし no 皆の仲間: 2010年1月6日水曜日

2010-01-06

「生きる」とは

日本では年間3万人以上も自殺者が過去12年間、連続で発生している。

普通、人間が死を決意する時の気分は躁と鬱で言えば鬱なはずだ。(薬物中毒などによる精神錯乱状態の人は除く)

アメリカの心理学者アブラハム・マズローは所属と愛の欲求(情緒的な人間関係・他者に受け入れられている、どこかに所属しているという感覚)が満たされない時、人は孤独感や社会的不安を感じやすくなり鬱状態になりやすくなると説いている。

よく第三者からは「快活で真面目そうな人だったのになぜ。」といった意外な思いをされがちなのは生理的欲求(生命維持のための食欲・性欲・睡眠欲等の本能的・根源的な欲求)や安全の欲求(安全性・経済的安定性・良い健康状態・良い暮らしの水準など予測可能で秩序だった状態を得ようとする欲求)より高い欲求が満たされなかったためだと「マズローの欲求段階説」から説明できる。

「マズローの欲求段階説」とは人間の基本的欲求を低次から

(1)生理的欲求
(2)安全の欲求
(3)所属と愛の欲求
(4)承認の欲求
(5)自己実現

の欲求の5段階に分類し人間は満たされない欲求があると、それを充足しようと行動するとし、その上で欲求には優先度があり低次の欲求が充足されるとより高次の欲求へと段階的に移行するとする説だ。


つまり、この説から日々の衣食住に汲々して生活する人たちや、その一段階上の健康で経済的にも安定した暮らしがしたいと望む人たちからは自殺者は生まれにくく第三者からは「幸せそう。」といった印象の人が、さらにもう一段階高い欲求が満たされないため自殺してしまうと解釈できる。

だから逆に第二段階の欲求までに留まっている人が実は大多数なのも事実で、だから年間3万人なのかもしれない。

さらに補足すると実は現段階で

(1)生理的欲求
(2)安全の欲求

が満たされてなくても一度でも

(3)所属と愛の欲求

が満たされたことがある人なら、その錯誤した欲求不満から自殺してしまう人もいるかもしれない。

つまり、あまり自らの今、欲しているものを上手く見出せなくなってしまうからだ。

つまり日々の暮らしに窮している最中にも関わらず自分の欲求は、そこにはなく「愛」に生きるといった変な勘違いをしてしまっている人を指す。

だから逆に今自分は何に不満を感じているか、この欲求段階にあてはめて整理することも得策かもしれない。

たとえば旦那の浮気が許せないと憤慨しているとすれば

(3)所属と愛の欲求

ないし

(2)安全の欲求

が不満なのか判別してみる。

そうすると旦那との愛の絆が崩れた、つまり旦那との信頼を失うことに不満なのか旦那が別の女性に愛情を移したことにより自分の安定した生活が不安定になりはしないかといった経済的なものなのかといった判別だ。

もし後者だとすれば

(2)安全の欲求

が満たされてないと判断すればいいから、その欲求を満たすにはと思案すればいい。

ここを

(3)所属と愛の欲求

が満たされてないと判別を誤れば、いつまでたっても答えは出ないだろう。

まして旦那から「最近、太ったんじゃない。」と言われ奮起して始めたプロテインダイエットが全く功をなさないことに憤慨しているのであれば、その日だけでもワインでも飲みながらたらふく食べて、ぐっすり寝れば

(1)生理的欲求

が充分に満たされ意外と翌朝は「ケロッ」として昨日までの苛立たしさを忘れているかもしれない。

まとめると鬱と感じたら、まず、その要因を探ることだ。

それを放置すると病的になり、いったい自分は何に悩んでいたか考えが錯綜してしまうはずだ。

つまり時間が過ぎれば過ぎる程いろいろな要因が重なり、ただ重圧だけが残り、その解決の糸口すら見失ってしまいがちだ。

だから不快に感じたら直ちに、その要因を探り自分なりに解釈して不快感をなるべく残さないで生きる癖をつけるべきだ。

最後に子供の自殺も近年多発している。

社会的責任を問えないだけに心が痛む。

だから親には、もっと、わが子との繋がりを密にして欲しい。

つまり日々の会話なり触合いから、そいった行動への予兆は必ずあるはずだから、なるべく、それを早期に察知して欲しい。

つまりマルローの説を信じるならば

(3)所属と愛の欲求

が欠乏しているわけだから、それを充足させる行動をとらなければならない。

もっと簡単に言えば子供が最後に帰る場所は親元でしかない。

その最後の砦を潰されたら、だれだって人生に嫌気をさすはずだ。

だから、どんなことがあっても自分はお前を信じると言ってやるべきだ。

なぜなら子は自らの意志で、この世に生を受けたわけでないから最後まで親が責任を負うべきである。