橘たかし no 皆の仲間: 2009/12/01

2009-12-25

施しを受けたいのはこちらの方だ!

奉仕(ほうし)

報酬を度外視して国家・社会・人間および生物界のために尽くすこと。

奉伺(ほうし)

ごきげんをうかがい申し上げること。

解説

今の世の中って奉仕じゃなくて奉伺になってないか。

つまり人の顔色ばっかり気にして妙に取り繕う何か事なかれ主義な保身に走ってないか。

今の東京の街は妙にひっそりとしている。

商店街のクリスマスソングだけが妙に侘しく聞こえる。

人間からの話し声も聞こえなければ歌声もない。

一昔前に流行ったストリートミュージシャンも姿を消した。

おそらく近隣の住民から煩いとクレームがあるからだろう。

車、バイク、自転車からの騒音も消えクラクションさえ鳴らさない。

まさにサイレント・ムービーの様だ。

こないだ居酒屋に久々に行った。

皆、密談でもしている様にヒソヒソ話だ。

どこかの席の学生らしきグループの一人が奇声を発すると隣の年配の女性のグループが眉を顰めた。

どうもサイレンスがトレンドらしい・・・

実は違う。

皆、保身に走っているのだ。

つまり金持ち連中は、いつ今度は自分達が火祭りにさっるのが怖いから今はひっそりと身を潜め嵐が去るのをじっと待っているのだ。

今、何か事を荒立てて自分達がターゲーットになるのを恐れているのだ。

なぜなら今の世の中こんなに不景気だといわれながら何故か自分達には、お金がじゃぶじゃぶあるからだ。

だから今、金持ち連中は内心笑いが止まらないであろう。

何故なら、こんだけ物が安くなりゃー今までだって十分安いと思ってたものが更に安くなっちゃって、そこまで価格下げちゃって、ここの店大丈夫くらいにしか思ってないはずだ。

だから今の貧乏人連中は、もっと怒りを露にしていいと思う。

今の日本は平等主義だといいながら実は全く平等でなくて不均衡社会だったにも関わらず皆、黙っていただけだ。

というか騙されていただけだ。

日本は中流家庭が多いと言われ続けていたが実は全く違っていた。

まず中流と言われていた定義が曖昧で余りに、それを指し示す項目が多くて誰でも一つや二つ必ずあてはまる様な定義しかしてなかった。

だから皆

「家も当てはまる故に中流家庭だ。」

とホットしていただけだったのだ。

まず火祭りに挙げるべきは公務員だ。
なんだ期末および勤勉手当って様は会社でいう賞与なのだろうが3月分+1.5月分の計4.5月分も支給されている。

大体、公務員は平均で月30万以上は給与があるので

30 × 4.5 = 135

以上も得ている計算になる。

135万って超大金である。

今の平均サラリーマンって実は月に20万あればいいほうだと思う。

しかも賞与なしだ。

だから年収が240万しかない人って結構いると思う。

そういった人たちからすると135万って将に年収の半分以上だ。

それが臨時給与で手に入るってどういう事か。

しかし、国家公務員の言い分もある

「でも職員の人数を減らして予算は削っていますから。」

「あほ抜かすなボケ。」

おまえら勝手に人数減らすから行政サービスの質が落ちトンじゃ。

人数少ないから3分で済む事務手続きに10分もかかトンじゃわれ!

要は最終的には国民が負担しとんじゃボケ。

じゃなくて一人当りの給与をもっと減らしてもっと職員を増やさんかボケ。

こんだけ一般の会社が賞与なして耐えてる時に温く温くと満額支給されといと何をさらすねんワレ。

えーええかげんせよ。

今、国家予算がないないと騒いでいるが国家を運営する人件費って何割占めるか大いに興味がる。

そこをまだまだ突っ込んで削っていっていいと思う。

つまり奉仕してでも国家・社会・人・生き物に尽くしたいという志の人に働いて頂きたい。

なんか保身のため自分の安定した生活を維持するためいといった志しかない人に全く託したくない。

そんな連中は、どっか高税率の国の予算の潤沢な北欧かどっかにあるのかないのか知らないが、そこら辺にでも移住してもらいたい。

日本が構造改革と称して自由主義型資本経済社会にしてしまった以上、行政は縮小させなければならない。

にも関わらず、まだそこで美味しい汁を吸おうと屯している連中は即刻退去ねがいたい。

どこへ行くかはネットでもなんでも検索して決めて頂きたい。

今日はクリスマスだとうのに全くお祝い気分になれないのは誰のせいだ。

2009-12-17

成果主義を悪く言うな!

ある期間の自分の業績を会社に評価してもらい評価が高かった分、報酬が上がる事は良くない事か。

単純に考えれば良い事そうだが実は、さまざま弊害もある。

たとえばこうだ。

成功報酬を支払うのはいいが、そのパイが決まっている。

つまり仮に100人働く会社でボーナスを支給するとして個々に支払う額は業績により4つのグループに分ける。

そして個々の支払うボーナス額の比重を変える。

Aグループ・・・110%  25人
Bグループ・・・100%  25人
Cグループ・・・95%   25人
Dグループ・・・90%   25人

すると何か妙なことがおきる。

まずパイが増えない事はさて置き上のような比重では基準となるBグループで満額もらえるボーナスが実は半分以上の社員はもらえない。

トータルで7.5%ダウンでしか受け取れないという制度では社員の脳裏には、こういった発想しか生まれないのではないか。

「自分の実力からしてトップクラスは無理である。

現に今までの人生でトップクラスだった経験もない。

だから満額のBグループを狙おう。

故に大それた言動は慎みミスだけは無くそう。」

これではダメだ。

何故なら、これだけ構造転換が叫ばれニュービジネスが求められている昨今に社員達は事なかれ主義に走ってしまい何も新しいことは生まないまま既存のマニュアルに忠実な行動しかしない。

自分自身は

「ああしたらいい。

こうしたらいい。」

と思いつつも、もし提案して悪い評価を受けた場合のリスクを回避する行動をとる訳だ。

社員だって馬鹿じゃない。

だったら、こうしたらどうか。

Aグループ・・・110%   25人
Bグループ・・・105%  25人
Cグループ・・・100%  25人
Dグループ・・・90%    25人

なんとなく

「5%増し位の高評価なら自分も食い込めそうだ。

だったら頑張ろう。」

とならないか。

しかし実は次にまた大きな弊害が待っている。

同一パイを皆で奪い合うという障害だ。

要するに個人ごとの競争原理だからチームワークが乱れるだろう。

たとえば、あるプロジェクトに参加しても、こいつよりは高い評価を得るためにはどうしたらいいかといった発想しか生まれない。

何故なら仮に、そのプロジェクトがみごとに成功しても参加した人数が何故か26名だったりするからだ。

つまり誰かはBグループでなくCグループに甘んじなければならない。

誰だとなった時、周りを蹴落とし始め挙句の果て、お互いの足を引っ張るから、そのプロジェクトが失敗したりしてC・Dグループになってしまったりするからだ。

こういった弊害をなくす為には無制限に高い評価を得た者には、まんべんなく高いボーナスを与えればいい。

しかし、こんどは会社側の頭が痛い。

それでは一体幾らで予算を組めばいいのか。

つまり先立つお金は、どこかで工面しなければいけない訳で、その金額を決めなければ経営は成り立っていかない。

だから成果主義はよくないといった発想になるのだろう。

はたしてそうか。

僕は、この事について以下の様な提案したい。

つまり成果を高く評価することは、いたって自然でよくない事ではない。

誰だって褒められれば嬉しい。

だから

(1)拝金主義的な発想は止めよ!

つまり何か高評価を、すべてお金に換算してしまおうという発想が古い。

これだけデフレで物余りなのだから現物支給でも逆に構わないと思う。

その時事前に社員一人一人に希望するものを聞くのである。

僕は米。

僕はビール。

僕は旅行。

要望は様々で手続きも複雑化するが逆に、そういった事に手間隙かけてやれば社員にも親身さが伝わる。

100人程度の社員の要望なら女子社員1人を臨時で雇い入れ一月もあればまとまるはずだ。

そして今やインターネットに繋がるパソコン一台あれば物資の調達も簡単にできるから別に生身の人間が駆けずり回らなくても済む。

(2)直接、成果に結び付かなくても、その過程を評価しよう!

現代は将にゼロ・サムゲームだ。

直接利潤を生まなければ全く価値がないとみなされがちだ。

たとえば、あるシステムを開発する際結果として何もトラブルなく、そのシステムが稼動してくれれば、その過程の少々の手抜きは大目に見てくれるだろう。

しかし重大なバグでも発生させれば、どういった工程を経たか厳重にチェックされ、そんなに重要でもない項目が、さも、この重大なバグのトリガーになったが如く罵倒され評価も頗る悪くなる。

したがって結果がすべてになってしまい、いくら個々がいい働きをしても全く評価に値しなくなる。

実は皆この事にうんざりしているのだ。

つまり、こんな低成長時代に莫大な利潤を生むケースなどないにも関わらず経営陣は、今度の企画なら絶対大当たりだなどと胸を張る。

ついそれを信じて付いていくが、やっぱり全く売れなくても企画のせいにせず個々の営業努力が足りないと評価され内心、皆「カチン」と来ているのだ。

だったら自分一人で売って来いと言いたいのだ。

だから、ここは今の時代背景について労使で充分な共通認識を持つべきだ。

これが意外と、どの企業もできてない。

株主への配当のことばかりきになっている経営陣が実に多い事か。

そして猪一に大事にすべき従業員のことをほっぽいて誰だか分りもしない(株の売買でころころ株主名簿が書き換わる意)人間のことを気にしすぎる今の経営陣って何か情けない。

じゃなく確かに叱咤も必要だが、それ以上に激励してやろう。

でなくても皆腐りかけているのに、ここで、またぎゃふんとすれば全くやる気も失せるだろう。

(3)今日の夕飯のことより明日のディナーの話を語ろう!

今晩、何食うといって牛丼・ラーメン・ハンバーガーの話題より明日は、どこか有名なレストランか料亭で何を注文するかの話の方が大いに盛り上がるはずだ。

つまり今日も明日もコロッケなら皆「えーまた」と心が沈んでしまうが明日でなくても近々に久々の高級食材にありつけると思わせた方が、よっぽど精神衛生上いいと思う。

だから最近は、どこも全くやらなくなった忘年会をやるべきだ。

しかも一品300円以下といった格安居酒屋でなく赤蟹シャブとか北欧フレンチとか若者が普段口にしたこともない料理を振舞う所に連れて行こう。

そうすれば彼らもリフレシュし慣れないお酒で多少は饒舌になり普段は思ってもみなかった奴から思わぬグッドアイデアを頂戴するかもしれない。

もし、この提案を否定する企業であれば、その将来は短いと思っていい。

また、そういった企業をだらだらと延命させるのでなく速やかに市場から排除した方が、かえって市場が適正化・活性化でき繁栄していくと想う。

2009-12-14

海の向こう韓国や中国ではオンラインゲームのやり過ぎで過労死する人もいるそうだが何故か

僕は以前、仮想社会と現実社会を対比して、どちらが優位かといった論点から述べたことがあった。

けども、その時の結論は現実社会の方が優位だと述べた。

理由は「唯物論」的観点から、ただ現実社会の方が仮想社会より先に存在していたからとうい単純なものからだった。

更に補足すると人間は最終的には死をもって現実社会から去るわけだから必ずリアリズムつまり肉体的な自分の痛みが大なり小なりともなう体験を経る。

だから、そのことに対処するための自分自身のはっきりした考えないし心構えを備えていないと、おそらく困るだろうと考えたかった訳だ。

はたしてそうか。

仮に仮想空間に埋没してしまったままで死に至ったとしても何も不自由もないかもしれない気も最近してきてしきりだ。

と言うのも僕自身30年程前に、そいった人間嫌いな自己内向的な生活を3年位送っていた経験の持ち主だからだ。

その中でも半年間は最低で誰ともまともな会話せず暮らした。

食事も毎日、朝7時半に近所のホカ弁屋で唐揚げ弁当(350円)とインスタント味噌汁(50円)を買って来て食った。

店の人も顔なじみになると僕が何も言わなくても直ぐ準備してくれて金だけ払って帰っていた。

あとアパートの入り口横にジュースの自販機があり喉が渇くと、そこで缶ジュース(100円)や缶コーヒー(100円)を買っていたから会話ゼロだった。

あとタバコ(250円)も自販機だったし現金も駅前の銀行のATMだったし電話もなかったから通話もなし手紙もチラシ以外がポストに入っていた記憶がない。

朝、弁当を食った後は夜7時位まで12時間は寝ていた。

そして翌朝の7時半まではテレビを見るか。

レンタルビデオを観るか。

レンタルレコードを聴いて過した。

本も近所に古本屋が数件あったので文庫本(100円)を買って来て読んだが、ほとんど途中で飽きて積読だった。

当時、大学生だったが全くキャンパスには行かなかった。

だから、かなりの単位を落としたと思う。

風呂も月一回しか行かなかった。

その当時は、誰しも一時的には、そいった自分自身を見つめ直すといった暗い生活も送るもので、ある瞬間から、やはり現実社会に復帰せねばと普通のサラリーマン生活を始めたのをきっかけに卒業した様な気分でいた。

けども最近になって何か当時の生活が逆に至って快適で心地よくて忘れられない自分に目覚めてしまっている。

何故か。

当時から数年経ってビジネススタイルとしてSOHOが持て囃され始めた。

SOHO(ソーホー)とはSmall Office/Home Office(スモールオフィス・ホームオフィス)の略で

「パソコンなどの情報通信機器を利用して小さなオフィスや自宅などでビジネスを行っている事業者」

といった意味で使われる場合が多い。(Wikipedia)

僕のイメージとしてはネット店舗などを開けば実際の不動産としての店を設ける必要もない。

仮想空間に売りたい商品を掲載すればいいだけで実際の品は現実の品であれば小さければ自宅に在庫すれば済む。

仮想的なもの(アイテムやソフトウェアやオンラインサービス)であれば、それすら仮想空間に置け実際のスペースは一切必要なくなる。

ただデータを保存するための物理的なディスクは必要だが、どうせ共有サーバーで済む話で、わざわざ自分専用のサーバーを立てる(大容量でセキュリティも独自でと考えるのであれば話は別だが・・・)まもでもないと割り切れば全くスペースの心配は要らない。

そんな感じだ。

そして、そのビジネスが軌道に乗っていたと仮定すれば、こういった生活が待っている。

まず衣食住だが・・・

(衣)・・・ネット通販で購入でき部屋着と割り切れば高価でなくて済む
(食)・・・最寄りのコンビニか今はネットスーパー、宅配サービスも充実してるからこれも外出は殆ど不要だ
(住)・・・電子機器と自身の健康も考慮して快適な温度と湿度が保てる空調設備の整った部屋であればいい

歳入歳出・・・

すべてネット決済かクレジットカードにすれば外出は不要だ。

余暇・・・

今やデジタルAVが、ここまで発達しクリアになってしまえば変に実際の世界遺産とかを訪れて妙な伝染病の感染や治安の悪さで人質に捕られるリスクをとるくらいなら外出は控えてDVDでも鑑賞してた方が安全と割り切り、オンラインゲームでも勤しむ。

となる全くもって仮想社会で事足りる現実とは何かと思えてくる。

つまり他人との実際の交流も遮断でき一人だけで生きることすら可能にしてしまった今とは、どういった社会と説明すればよいのか。

また仮想社会の中で市民参加したコミュニティ活動に周りから現実社会ではありえない感謝のされようをして妙に自己実現してしまって、いい心地になる社会とは何なのか。

正か負か。

微妙。

やっぱ有りかもしれない。

要するに何が言えるか、実は現実社会ではあり得ない事が仮想社会では意図も簡単にできてしまう。

(1)性別の詐称
(2)年齢の詐称
(3)容姿の詐称
(4)学歴の詐称
(5)収入の詐称
(6)出生の詐称

しかし、これらは「詐欺じゃないか」と思われた輩は甘い。

これが現実社会に引き戻してしまえば確かに詐欺だ。

だが仮想の中に埋没し一切、現実から逃避してしまえば可能なはずだ。

つまり実際の婚姻も金銭の授受も全くない社会なら全く問題ない。

つまり、そこは仮想つまり脳の中のイメージでしか無いからだ。

お互いが自らをイメージし作り上げてしまった別の自分でしかない自分、つまり創造した自分である。

これは非常に興味深い。

つまりこうだ。

自らが思い描く自分が仮想社会で創造できたなら現実社会では男のはずが自らは女であることを欲していて望通りになってしまう。

つまり理想が具現化できる社会が仮想社会に存在しはしないか。

ただ仮想社会でも他と共生するため、どうしても何か優劣は付けられてしまう。

それは仕方ないが現実社会では生身だから自己否定されてしまうが、そこは自らの創造物でしかないから再構築も意図も簡単にできる。

その試練も変な励みになったりして、しかもクオリティ的にも現実社会の妙に偏見に満ちた陰気臭さより清潔感漂う清々しい気がするのは気のせいだろうか。

だとしたら、この社会をどう捉えればよいのか。

余りに安価に高速通信や大容量記憶機器が利用でき簡単に音楽や画像・動画が閲覧でき、その数も全く把握できないほど膨大で退屈などしない快適な社会だ。

だから現実的な物はあり余りデフレになり、しかも地球温暖化は大気圏のオゾン層の破壊からだから今の昼間って放射物質が非常にふり撒かれている状態で癌などの突然変異を生むリスクも高くなってきて外出は控え目になる。

益々、何をもって現実社会はすばらしいと言っていいのか訳がわからなく説明がつかない。

ちなみに唯一、外出する機会だったはずの投票行為すら今オンライン化し自宅から参加可能にしようと確か検討されてるはずだ。

これはトレンド的にも外出不可を奨励しているようなもので、この世から現実の町並みが消え広告塔が消えネオンが消え街灯が消えても

「え、そうだったの。何年前から全然知らなかった。」

と呟かれても仕方ない社会が、もう直ぐそこまで来てやしないか。

これは恐怖か渇望か・・・
(追記)

今の流通および小売業界が目指しているのは誘導ないし扇動だ。

なんだ、この切迫感、息が詰まりそうだ。

Please stop it anyone please .

2009-12-06

結婚しない人々

内閣府が5日「男女共同参画社会に関する世論調査」の内容を明らかにした。

調査は10月に行われ20歳以上の男女5000人を対象に実施。3240人(64.8%)より回答を得た。

(1)「結婚は個人の自由だから、結婚してもしなくてもどちらでもいい」 70% (07年比 4.9ポイント ↑)

70歳以上  47%
60歳代  60.8%
50歳代  72.3%
40歳代以下 8割超え
20歳代  87.8%

(2)「結婚しても、必ずしも子どもをもつ必要はない」 賛成 42.8% (07年比 6ポイント ↑)

70歳以上 賛成 22.8%
20歳代  賛成 63%

(3)「夫は外で働き妻は家庭を守るべきだ」

男性 反対 51.1%
女性 反対 58.6%
全体 反対 55.1%


解説

日本において晩婚化が進んで久しいが着実に日本の国民の意識の中にも日本人の晩婚および未婚を肯定する意識が脹らんできている事になる。

何故か。

よく言われるのが「貧乏人の子沢山」だ。

つまり所得が低い家庭ほど多くの子をもうけるという意なのだが、これは日本国内のことをのみを指している訳ではなく世界の所得水準と出生率の相関関係を言っている訳だ。

つまりGDP(国民総生産)が低い国ほど子供をたくさん生んでいることが世界銀行の統計からも明らかになっている。

理由として考えられるのは

(1)貧困国では死亡率も高く出生率が高くないと人口が維持されない

(2)貧困国では家族計画(避妊)が普及していない

(3)経済発展度の高い国では教育度の高い人材が不可欠であり子どもの数が多いと適切な教育が与えられない(逆に所得の低い農業国では子どもが働き手として重要)さらに

(4)先進国では社会保障が発達しているため子どもがいないか子どもの数が少ないにもかかわらず老後の保障が確保されている

事が挙げられる。

つまり一般的に社会が成熟してくると社会というのは今度は衰退へと向かうベクトルがあると言われる。

滅んで行くのである。

その際、子孫を残しては逆に子孫に申し訳ないので子孫を残さないという発想が働くのは自然かもしれない。

特に高齢者が若い男女の婚姻に否定的になったのは今の世の中の出来事をTVとかで見ていて正直チンプンカンプンだと思う。

だけど彼ら彼女らとて今の今まで自らの力で生きてきた自負があるから表立っては弱音は吐かないが、すべてをすべて正確に把握などとても無理と思っているか、既にそういった情報を一切遮断した浦島太郎生活を送っているかだと思う。

だから振り込め詐欺などいくら注意喚起しても、まだそんなことが世間でおきていることなど知らない人が多いのだと思う。

だとしたら自分の親からも「早く結婚しろ」と言われないし自らもしたくないと思えば誰も結婚なんてしなでしょという話になってしまう。

ただし自由恋愛はエンジョイするけどねといったご都合主義が今、日本にまかりとおっている事になる。

誰も今の若者のすることを否定しなくなった疲弊した社会が今の日本なのである。

ただし企業活動つまり、そういった好き勝手をやってる奴等には何も分ってないから企業は金を出さない。

つまり採用は永遠にないと思って差しつかえない。

つまり自分のわがままばっかり会社のなかでも言ってて「ハイハイ」なんて誰も受け答えなどするはずがない。

だって何にも金になる話なんかしなくて金が掛かる話しかしないからだ。

そんな人々は排除するのみである企業活動に於いては・・・

さて、だとするとこのまま高齢化少子化が進んでいく日本の100年後はどうなるか。

おそらく豊かな緑と水の自然溢れる誰もいない孤島になってしまうのでしょう。

今は遺跡になったマヤ文明の様に・・・と僕は思うけど皆さんはどうお考えだろうか。

その証拠に日本の50年くらい前の高度成長と同じことがお隣、中国で起こっている。

意味お解りか・・・

2009-12-04

住まいとは

前回オピニオンリーダーの話をしたが不公平(と言っても彼らは何も傷ずかないだろうが)になるといけないので別の名もあげる。

タモ○、石○貴明、木○憲武、明石○さんま、笑福亭○瓶 etc きりがないので止める。

タモ○で思い出したが彼の出演する番組は長寿(10年以上続いているという意味で)番組が多い。

笑っていいとも、タモ○倶楽部、ミュージックステーション・・・そして年末恒例なのが徹子の部屋への出演である。

今年はどうなのだろうか。

それと、まだ長寿ではないがNHKで番組をやってることに今日気づいた「ブラタモリ」だ。

タモ○のことはこれぐらいにして番組の「ブラタモリ」だが、ある場所(昨日は本郷だった)を訪れタモリが地形についてうん蓄を述べる番組だ。

僕はこれを見ていて本当にこんな崖っぷちや坂の途中によくもこんな密集して人が住んでいるものだと思った。

たとえば崖の下からそそり立つマンションだと屋上でもやっと崖の上へ出る程度で、ほとんどが崖の下に沈んでいる様な物件もある。

崖の反対側はおそらく南方向で日は当たるのだろうが裏側からの景観は目の前がすぐ崖である。

想像するにかなり圧迫感があると思う。

またマンションを一歩出ても坂道で雪でも積もれば歩くのが怖くなると思う。

にも関わらず彼は何故そこに住んでいるのか。

理由はいろいろだろう。

オフィースに近いとか。

文京区本郷とういうイメージからすれば安いだとか。

見方を変える。

人口密度という統計数値はよく耳にすると思う。

国土の1k㎡当りに人が何人住んでいるかとう数値である。

全世界の中の上位5位は

順位順位(国)国・地域人口面積(km²)人口密度(人/km²)
世界6,829,360,000136,127,00050
1マカオ537,00029.218,424
21モナコ32,8122.0216,244
32シンガポール4,736,0006996,773
4香港7,022,0001,1046,361
5ジブラルタル31,04565,174
(詳細は人口密度を参照)

である。

5位のジブラルタルのことは良く知らないがマカオ、モナコ、シンガポール、香港は有名な都市国家である。

個々の面積だがモナコってたった2.02k㎡しかないのが意外だった。

狭すぎないか。

単純化すると2000㎡を一家族(3人位)が50㎡に住むとして40世帯しか平地だと住めないこになる。

ところが人口は32,812人だからマンションの様な階層住宅に住んでいるわけだ。

てことは 32812÷3×50÷2000=273.43(階)になる。

274階立てのマンションってかなり高層マンションになる。

僕の住むマンションの建築面積が397㎡の建築延面積が1454㎡の5階建で六本木ヒルズが階数・地上54階・地下6階だけどモナコの景観は


な感じだから、どう考えても274階立て高層マンションが立ち並んではない。

考え方を変える。

つまりもっと狭い場所に皆が犇めきあって住んでいる事になる。

だけど、ここは王国だから王朝も住んでいるから彼らが、そんな狭いとこに住んでないはずだから庶民がかなり狭い場所に我慢してすんでいる事になる。

公道や商業施設および公共施設も必要だし、たとえば個々の家庭がトイレ、浴室を持つのでなく共同にしてしまえば、そのスペースが有効活用できる。

また寝室も2段ベッドにするとか。

工夫はさまざまだ。

だが最後に言いたい。

人が居住するうえで最低これだけは欲しいスペースはあると思う。

それは個々にバラツキがあっていいし年齢や性別によっても変わるはずだ。

ただ年を取るにつれ、ゆったりした空間を好む傾向はないか。

つまり若い頃は少々狭くても活動が活発(つまりよく出かけて留守が多い)だから、ただ寝に帰るだけといったシーンでは狭くて(つまり寝室だけホテルのシングルルームぐらいの広さ)十分と思うだろう。

だが歳をとるにつれ外出が億劫になり家にいる時間が多いと狭ければ狭いほど息がつまってくる。

僕もよくビジネスホテルに泊まるがシングルルームのセミダブルベットだと2泊3日が限度だ。

一週間も缶詰になると全身が張って後半は寝不足になったりしたものだ。

がリビングルームとか10畳だけど20畳も30畳も必要ない。

六本木ヒルズとかそんな物件があるかもしれないが広過ぎると逆に不安になる寂しくなってくる。

だから大型50インチくらいのテレビが欲しくなるけど高価だから10畳ほどで32型で十分なはずだ。

やたら爬虫類のペットで部屋を満たしてみたくなる。

つまりスペースがある分を何かで埋めないと落ち着かなくなるから大量のもので溢れかえることになるしペットだと維持費も膨大になるだろう。

つまり自らが望むゆとりある空間に住めばいいはずが見栄や思惑が絡むと、とんでもなく不快な場所に住み続けなければいけなくなる。

だから住まいとは一生ものといったイメージより、そのシーンごとに移り行くものといいたイメージで捉えた方が正解だと思う。

これから春にかけて住み替えのシーズンだけど、あなたは引越しをお考えか。