さて、今回は、価値観について述べようと思う。私のいつもの癖で「価値観とは」と自問自答してみた。価値観は、誰にもある。老若男女を問わずある。ただ、違いは、ほんの20年前と比べ開きが大きいと思う。つまり、老若男女で、価値観の開きが激しく、また、移り変わりも早くなっている。いたってメランコリックである。となると、価値観とは呼ぶに相応しくないかもしれない。言い替えれば、気分、雰囲気、思いつき感とでも呼んだ方が、ピンとする。その場、その場で本人のいったっていい状態をかもしだせばよしといった流れである。だとすれば、今の価値観とは、よいものであろうか。答えはダメである。つまり、何の基軸もない、極めて不安定なものである。揺らぐし歪むし、幾重にもなれば、ノッペリとしたまったいらものにも変化する。掴みどころもない。では、そこに本質はあるのか。ない。何も残らないと思う。「価値観」なにか重い重厚なものに思えるが、実態とかけ離れてしまった。ここから、実例をあげていきたいが、疲れてきたので、もう止める。自転車、宝石、家、結婚、子供など、実例はいくらでもある。
一例を挙げれば、六本木の高級高層マンション、一戸億は下らない。ゆえに、天井も高いはずだ。これは無意味に高いわけでない。その方が空間にゆとりができる。ゆえに安らぎを与えるわけである。ただし、これにも好みがある。逆に天井の低いゆとりのない部屋がいいと思う人のいると思う。故にダンボールやカプセルといった場所に宿泊する者もいるわけである。そこに優劣があるだろうか。僕はないと思う。ただごく一般的には広いことを良しとする傾向は強い。ゆえに億円もするのだと思う。だが残念なこともある。その億ションの照明の電球が切れてしまえば、これほど住みにくい住宅はないと思うだろう。なぜなら、自ら交換することは不可能である。優に5メートル上空の照明の電球の交換は、専門職に委託しないと危険である。ゆえに深夜に電球切れが発生すると最悪であろう。翌日の早朝を待たないと交換は無理である。しかし残念なことに翌朝になれば、辺りは明るく照明は用なしだ。であれば、真の価値観とは何であろうか。眠い寝る。
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