橘たかし no 皆の仲間: 今年の展望

2010-01-05

今年の展望

謹賀新年、明けましておめでとう御座います。

今年は、僕にとって本当に当ブログを始動する最初の年になる。

去年の8月から始めた、このブログの新年初頭だからだ。

ブログとは、その作成者の今の思いを綴った足跡の様なもので後で読み返すと、その当時は、よくもそんな事を書けたものだと赤面してしまうことも、しばしばだろう。

しかし、そこは挫けず、これからも書き綴っていきたい。

皆さん今年も宜しくお願いしたい。

さて前置きは、これぐらいにしてズバリ新年初めという事で、今年の展望を述べたい。

今、日本国民の大多数は今年こそ景気がよくなって欲しいと切に望んでいるはずだが果たしてそうなるだろうか。

答えはノーである。

理由は簡単である。

余りに景気を判断する指数が悪すぎるからだ。

景気DI  24.7、前月比 ▲0.2(2009年11月)

これは帝国データバンクが発表した景気動向指数だが0-100を範囲として50を中心に今、景気はどれだけの位置にあるか示したものだ。

まず24.7って50を大きく下まわっているが、こんな状態は、もう5年以上は続いていると思う。

つまり、もともと景気って悪い状態が続いていて、それが何時から上向くかだけが何故か焦点になってしまって前月比および前年同月比がプラスに転ずる事のみに注目が集まっていたと思う。

だが、その現状を示す指数の方は50が景気が普通を指し示すなら、その半分以下なのだから、どれだけ景気って悪いかがお分かりになると思う。

だから、いくら前月比および前年同月比がプラスに転じたからといって、まだ50への道のりは遠いのである。

そして何時か50を突き破って、やっと「今の景気っていい。」と言い張れる。

道は、まだまだ遠いのである。

とは言っても今年の展望は何もないのか。

何か明るい材料はないのかといった暗い気持ちにならないために次の事を今年のトレンドとして据えれば上手くいかないか提案したい。

薄利多売的な発想を止めよう。

「大量生産、大量消費の時代は終わった。」ことを再認識したい。

つまり皆、画一的なもの・価値観には飽き飽きしていると思う。

これは、かなり以前から言われている消費者の欲求の多様化といった意味とは全く違う。

つまり以前から、これだけ大衆化が進めば消費者の欲求も多様化する。

故に同じ商品でも多少、形式を変えたりカラーを豊富にしたいりして少しでも消費者の細かいニーズに対応しようといった概念だった。

しかし僕が言ってるのは、そんな些細なことではない。

実は、これは生産者からは重々わかっていたことで画一的なものは売れない。

故に「個性を」と叫び続けたが実はベースになる事は全く変えられなかったはずだ。

たとえば、あるコンセプトカーがヒット(○産○ーチなど)すると量産に走る。

そうしないと売れる→生産増→売れるのサイクルが生まれないからだ。

それが収益を上げる鉄則だからだ。

だが、この車を既に購入して乗り回している人は対向車線からくる同じ車をみて心でこう思っているはずだ。

「巷に僕と同じ車がやたら増えた。故に個性がなくなった。故に嫌だ。」

これは、○産○ーチが○ヨタ○ローラに成り下がった瞬間である。

つまり売れた瞬間から消費者の熱は冷めてしまうのだ。

また最近のこの熱の冷め様が異常に早い。

つまり昔であれば価値観を共有する喜びもあった。

そうした新しいコンセプトに賛同する人々が増える事によって世の中に「自分達の価値を認めてくれ。」といったアッピール・メッセージ性があったからだ。

たとえば反体制的といった意味合いで強いメッセージ性を帯びると大衆は皆なびくといった感じだ。

しかし今はそれが全くない。

何故か。

僕は、かなり以前ビックリしたことがあった。

ずっと何かアイデア商品ではないが新しいコンセプト商品を発案して、それを企業に売り込めば一儲けできるといった風潮がった。

故に僕も考えた。

その時発案したのが小型洗濯機だ。

サイズはちょうど浴室の隅に置ける位で、ちょっとした下着類なら、そこで入浴のついでに洗濯も済ませればいいのにと思った。

当時、一人暮らしで1DKに住んでいたが休日に約一週間分たまった洗濯を一機に洗うのが面倒で仕方なかった。

洗濯機は古く2層式で常に洗濯機に張り付いてないとダメで、洗濯だけで一日終わってしまって何か侘しい気持ちになったものだ。

まだ全自動式は高価で買えなかったし大容量のものしかなく設置場所がなかった気がする。

だから途中からは近所の銭湯の横のコインランドリーにでかけて1回200円の方でなく1回300円の大容量の方に洗濯物を突っ込んで洗っていた。

でも充分に洗濯しきれてなくてワイシャツの脇の下が黄ばんだまま着て会社にでかけていた。

だから時々クリーニングにも出すが一度黄ばんでしまうと、その黄ばみはとれなかった思う。

あれって一週間も洗濯物を放置すると汚れが繊維に染み付いてとれにくくなるんだなと後で分った。

だからワイシャツ一枚くらいは毎日洗えるくらいの小さな洗濯機があればと思った。

だかそんなもの全く商品化されず「僕だけかな。」と思っていた。

友達にも、その商品化の話をすると全く賛同しなかった記憶がある。

しかし、そんな時ある新聞の新商品の紹介欄に確か○菱電機だったと思うけど商品化された記事が載っていた時は驚いた。

最初は先を越された的な気分で憤慨した。

しばらくして「やっぱ一人暮らしで同じ様な悩みの人っているな。」とちゅっとホットもした。

しかし僕は、その洗濯機を買わなかったし全くその洗濯機は売れなかったと思う。

何故か。

僕が、その時に思ったことは天下の○菱電機ですら、そういった売れるか売れないか微妙なものを商品化する。

今、巷にモノって溢れてるし、そんなモノすら商品化しないとモノって売れない時代なんだなと思った。

また何か僕のオリジナル的発想が既に大企業も察知している。

何か嫌な気がして後、どこかそんな気持ちで世のモノの成り行きを眺めていくと何時からか気持ち悪くなってきた。

つまり、ちょっと脅迫概念的に消費に走りすぎてきる自分がいたからだ。

つまり、今の自分の部屋の中を眺めて必需品以外ってどれだけあるか考えてみた。

なんかゴミの山の様に見えてきたからだ。

テレビ3台(僕用・妻用・娘用)
パソコン2台(僕用・娘用)
自転車3台(僕用・妻用・娘用)
電動アシスト式自転車1台(妻用)
カラープリンター2台
DVDプレイヤー1台
ビデオデッキ1台
携帯型ゲーム機3台(内1台は今、捜索中)
据置型ゲーム機3台(僕用・娘用)
携帯電話6台(僕用・妻用)
CDラジカセ3台
ラジオ2台
電卓5個
エヤコン3台
全自動式洗濯機1台
掃除機1台
携帯型ゲームソフト30本以上
据置型ゲームソフト10本以上・・・

特に携帯電話は酷かった。

○コモのNシリーズ。

新機種が出るたびに買い換えてた時代があった。

別に旧機種で不自由してた訳でもないのに何か新機種じゃないと気持ち悪い自分がいた。

最近は車かバイク(AT)どちらか買おうか迷っている自分がいる。

つまり、今って何か新製品が出ると高いから売れない。

しかし政府の支援(エコポイントなど)などで価格が下がり消費が生まれる。

すると「うらやましい」感が生まれて廉価版が出て爆発的に売れる。

そして価格が下がり全世帯に普及する。

また別の新製品が生まれといったサイクルだが、それってもう飽き飽きした。

このサイクルって古くは昭和30年代のテレビ・冷蔵庫・洗濯機の3種の神器に始まる。

僕が、はまったのはビデオデッキ(5台は買ってる。価格99,800円○ャープ→50,000円○ナイ→9,800円○ナイ→30,000円ソ○ー)→テレビゲーム機(n→n→N→S→S)→パソコン(T→I→I→?→P→H)→携帯電話(N→N→N→K→SN→SO→II→T)てな具合だ。

これからは、このサイクルにお付き合いするのは、もう止めようと思っている。

何か最近は、またオーディオがブームになる気配だ。

が僕は既にCD音源に慣れ別に今さら重低音がどうのこうのなど、お付き合いする気はサラサラない。

もっと消費を僕自らの正直な欲求だけで堪能したい。

だから売る側も、もっと静かなブームを醸しだして欲しい。

僕の知らぬうちにブームも去って何か浮世離れした生活を今年はしたい。

25年くらい前、泉昌之という漫画家の作品で部屋中が通販商品で埋め尽くされて生活していたが最後は発狂してすべて破壊するシーンがあって最近よく思い出す。

年末年始(12月28日-1月1日)は帰郷して実家で過ごした。

旧家で隙間風が冷た過ぎて風邪気味になった。

携帯電話もパソコンもなくテレビゲームもなくビデオもDVDもなく。

アナログテレビだけで過したが何不自由しなかった。

逆に大晦日は雪が積もり娘と雪合戦したり雪だるまを作った。

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