小春日和とは陰暦十月のころのよく晴れた暖かい日和(ヒヨリ)を言う。
待ちに待った暖(ダン)ではあるが最早(もはや)遅すぎたかもしれない。
なぜなら既(オオス)がら皆が腹を空かし子供は自らの力では動けず男も我が子に成す術(スベ)もなく目が宙を舞う。
女は横になったまま微動だにしない。
備蓄(ビチク)は尽きたのだ。
つまり豊満(ホウマン)だった財も底を突きはてて明日は霞(カスミ)でも食うしかない。
先に朽ち果てた仲間を憂う気ばかりが焦るだけだ。
例え、この星が暖かくなっても蒔く種は、もう無い。
何か明日の為に希望を持てればと思うが聞く人、聞く人は只、横に首を振るだけだ。
ただ、画面(モニタ)だけが煌々(コウコウ)と輝き眩いばかりだ。
これは我々庶民には遠く離れた時空の事で、まさに浮世離れしている。
だとすれば我々の真の姿を映し出し、どこか向こうの里まで道案内してくれるような無いような魔法でもあるのか。
ただ、今も時空は或る法則に従い、ゆっくりと流れる。
追伸
小船に溢れんばかりの札束を積んで無人島に着いた。
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