TVチューナーのレビューをどうしようかと思ってた矢先思わぬニュースが飛び込んできた。
Windows11のリリース発表だ。
新バージョンのOSの機能がどうのデザインがどうの批評するのも構わないが、ここらで自分がWindowsと関わった4半世紀を振り返るのも悪くない。
MSX
Windowsと直接関係ないが僕がMicrosftと関りを持ったのはここからだから、かなり昔だ。
MSXのPC本体(ヤマハ製)を秋葉原のツクモ電気で買った。
本体だけで10万円以上した。(カセットと鍵盤は別売り)
何故こんなセットを買ったかというとPCで音楽が奏でられたからだ。
方法は2通りあった。
1つが画面に5線譜が表示されていて、そこに音符を手入力していくとその音を奏でてくれた。(もちろん音色も変えられた)
もう1つが鍵盤を叩くと、その音を音符にして5線譜に表示してくれた。(もちろん後でPCが自動演奏もしてくれる)
当時これをPC雑誌で見つけた時は衝撃的だったので即買いした。
でもすぐ飽きた。
理由は2つある。
まず僕はピアノが弾けないので2つ目のやり方では遊べなかった。
もうひとつが致命的で簡単な単音なら本当に奏でてる様にPlayしてくれたが音を重ねていったり短い音が続いたりするとPlayがもたつき始めた。
つまり当時のCPU(Z80)では処理能力に限界があった。
メモリ(いくつかも全然覚えてない)も全然足りてなかったと思う。
要するに絵にかいた餅で全く実用的でなく所詮子どもの玩具でしかなかった。
追加でカセットデッキとFDDも買った。
カセットデッキはカセットテープにデータをセーブするため、というかデータがセーブ出来ないと全く使い物にならない。
特にマシン語でプログラムを動かす時はアセンブリ言語なんて知らないから16進数を入力した。
データをセーブ出来ないと最初から数字を入力するなんてやってられなかった。
それで何をやったかというと結局ゲームだった。
ファミコンと比べるとクオリティがかなり低かった。
最初でこそ自分が入力したデータでゲームが動いたことで感動したがクオリティが低いのですぐ飽きた。
FDDを買ったのはMSX-DOSを試してみたかったからだ。
この頃はOSも良く分っていなかったからDOSなんてチンプンカンプンだった。
だからDOSプロンプトが表示されても何これ、どうやって使うのって感じだった。
ここでの散財が今後の僕のPC投資を消極的にする。
MS-DOS
会社のPCで最初に搭載されたOSだ。
今のPCのOSのシェアの約9割をWindowsが占めている。
出典:マイナビニュース |
当時のMS-DOSもOS/2やFM-TOWNといった別のOSを尻目に高いシェアを誇っていた。
その時はOSの重要性に全く無頓着で使いたいアプリが動けば良い程度だった。
その時会社のPCで動いていたアプリはワープロソフトの「松」と表計算ソフトの「桐」だ。
これらのアプリを手掛けたのが管理工学研究所というお堅い名称の会社だ。
この会社が今どうなってるんだろうとGoogle検索してみたら存続していた。
しかもワープロソフト「松」は開発が中止されているが表計算ソフト「桐」の方は、まだ新バージョンをリリースし続けている。(最新バージョンが桐10s)
当時この会社でプログラマーとして開発に携わっておられた中村正三郎さんのファンだった。
先生の書籍を求めてサイン会にならんだ事もあった。
久しぶりに先生のホームページを訪れてみたが最近は全く更新されてないようだ。
(訂正 2021.7.20)
大変失礼しました。
先生のホームページは、こちらに引越されていました。
出典:ウィキペディア |
Windows3.1
最初に僕がWindowsと関わったのはここからだ。
巷ではWindows、Windowsと騒いでたが僕自身は全く興味なかった。
またMSXみたいに直ぐ消えるでしょぐらいにしか思ってなかった。
でも会社の電算部部長から
「これからPCが1人1台の時代になるが全く先が読めない。
そこで全員にPCを支給するので自由に使って良い。」
とお達しがあった。
支給されたPCはノート(東芝製)だった。
Windowsなんて全く興味なくOSに無頓着な僕は、このPCをDOSモードにして「松」「桐」を使っていた。
プレインストールされてたWord、Excelは一度は起動してみたが操り方が全くわからず直ぐ閉じた。
(追記 2021.7.24)
ここでワープロソフトについて触れておく。
今ではWordがワープロソフトの代名詞になっている。
僕が使ってきたワープロソフトは一太郎、OASYS、松、Wordだ。
使い始めた頃は手書きでなく活字の文書で会議資料などを出すのが目的だった。
紙主体の扱いだったので使うワープロソフトは各々好きなものを使えば良かった。
ところが文書をデータで管理し社員で共有するようになると同じアプリでないと都合が悪くなった。
そうするとPCにプレインストールされたアプリが一番使い勝手が良くなった。
Wordが残ったのは、そういった経緯がある。
表示できる色が256までだった。
でもネットに、まだ繋がってないから画像データなんて皆無で全然気にならなかった。
Windows95
会社から支給されたPCを自宅へ持ち帰るようになった。
自宅からインターネットをしたかったからだ。
近所の本屋でPC雑誌(月刊アスキーとか)を立ち読みしててインターネットって単語を目にするようになった。
最初はインターネットって何だろうって感じで何をどうして良いか全く判らなかった。
会社の同僚に聞いても皆良く知らなかった。
プロバイダとかTCP/IPとか単語が、ばらばらに飛び交った。
だからインターネット入門とかのPC雑誌の記事をたよりに始めたが直ぐには繋がらなかった。(当然ダイアルアップ接続)
因みに僕が選んだプロバイダはインターリンクだ。
(追記 2021.7.19)
新規申し込み手続きもインターネットで行った。
プロバイダと契約する前に、そんな事が出来た。
インターキュー(現GMOインターネット)というプロバイダを利用した。
インターキューはダイヤルQ2(NTTによる情報料収納代行サービス)を利用した契約手続きが不要なプロバイダだった。
ただし長期間の利用には割高になるため、ちょっとしたダイヤルアップ接続に利用した。
驚くことに、このプロバイダは今でも存続してる。
当時プロバイダが無数にあった中から、たまたま選んだだけだ。(接続料が1番安かった)
上手くインターネットに繋がらない訳はWindows95標準機能だけでは不十分だったからだ。
不足機能はMicrosoft Plus! for Windows 95という別媒体で入手できた。
TCP/IP(当然バージョン4)を追加しないといけなかった。媒体は会社の後輩が持ってたのを、ちゃっかり拝借して僕のPCにも入れた。
それでも上手く繋がらなかった。
色々調べ挙げたが全く判らなかった。
恥を忍んで後輩に尋ねたら「あー」とはっした後さっきのプロパティを開き、ここにもチェックを入れろと教えてくれた。
おまじないだそうだ。(何のプロトコルだったか忘れた)
ハードウェアについてもふれておく。
当時のノートPCには通信制御は標準で搭載されていない。
PCカードスロットが2基あって、そこにモデムカードを挿した。
モデムは二股のモジュラージャックに繋がっていた。
もう片方は電話器につながっていた。
インターネットでは画像データをダウンロードしまくった。
(追記 2021.7.20)
今また画像データのダウンロードに夢中だ。
ここでインターネットから画像データをダウンロードするやり方のおさらいだ。
基本はマウス右クリックで名前を付けて保存だ。
応用としてマウス右クリックでソースを表示して画像データのURLを踏むやり方もある。
だから常にHDDの空き容量は100MB程で使っていた。
(追記 2021.7.24)
HDDの空き容量の話をついでにする。
空き容量が無くなると動作が鈍くなった。
メモリも大して積んでないからHDDのswapファイルの大きさで速さが決まった。
インターネット以外特にやってなかったので極力不要なデータは削除していった。
windowsフォルダの下のtempフォルダに不要なデータが貯まったままなのは経験上知っていた。
だから少し動きが鈍くなると直ぐそこを開きデータ削除した。
たまに、その癖で会社でもtempフォルダのデータをExcelを立ち上げたままでやってしまいExcelファイルをおかしくした。
僕はやってなかったがレジストリをさわって容量を増やそうとしてた奴もいた。
(追記 2021.8.2)
HDD関連でいうとデフラグも頻繁にやった。
体感速度は全く変わらなくても断片化0%なので清々しくPCできた。
Windows96
ここで幻のOSと言われたWindows96を紹介する。
と言うのは真っ赤な嘘で架空のWindowsだ。
それにしても良く出来ている。
Windows98
僕が初めて自腹で買ったPCのバージョンだ。
俄かPC業者が乱立してて受注生産で廉価なPCを販売してた。
聞いたこともないメーカーに9万8千円で注文した。
オプションで拡張ボードにSCSIを付けてもらった。
MOドライブを外付けしたかったからだ。
注:これはUSB接続タイプ |
HDDはまだ高価で、どうしても大容量のデータは外部媒体に保存した。
会社から支給されたPCは256色しか表示出来なかった。
だから買ったPCのCRTモニタに映し出されたフルカラーの画像に魅了された。(今の4Kモニタより感動した)
(追記 2021.7.25)
CRTモニタで画面が美しくなったのは良いが、とにかく場所をとった。
それまではPC作業兼食事するところだったテーブルもCRTモニタで占有された。
仕方ないので料理は床に直に置いて食事した。
床に置いたラーメンをすすりながらPCする姿は、はたから見ると滑稽だったろう。
Windows ME
全く影の薄い存在だった。
発売された時たまたま買ったPCにプレインストールされてた的な存在だった。
統合前の会社の経理部へ電算部から異動した女がいた。
彼女は単独で経理部のPCをすべてリプレイスした。(50台くらい)
僕が何かの用事で経理部の部屋へ赴いた時、彼女は一人黙々と初期設定をしてた。(おそらくメインフレームのエミュレータ端末の設定のためだったと思う。)
起動していく画面を覗いたら"me"の文字が見えた。
僕は「わちゃー勝手に何してくれてるんだ。」と、とっさに思った。
案の定、初期設定が終わったPCを使い始めた社員が彼女に話しかけてきた。
「前のPCなら○○出来たのに動かないよ。」
彼女はイラッとした口調で、こう叫んだ。
「ドキュメントで言ってください。」
ダウングレードというやり方が一般的になったのは、その後のバージョン(Vista → XP)からだ。
Windows2000
経営統合した新会社のPCが、このバージョンだった。
PCはDELL製ディスクトップだった。
PC本体の背面に診断ライトが4つ灯るようになっていた。このライトの点滅具合で不具合を自ら修理した。
さらにシステムファームウェアとしてUEFI(セキュアブート対応)が暗号化チップとしてTPM 2.0対応のものが必要だ。
同一ネットワークにWindows XPのPCと混在すると不具合が発生した。
(追記 2021.7.24)
その頃のネットワーク環境にも触れておく。
主要拠点間はVPNで結んでいた。(5Mbps)
その他の間はADSLと一部光回線だった。(1Mbps)
因みにバックアップ回線はISDNだった。(128Kbps)
こんなネットワーク環境でPOSシステムとか運用した。
毎朝100件以上ある店へ商品情報(価格変更や特売など)を送るが数店は常に伝送エラーが発生した。
だから24時間監視する体制がとられた。
そうした時は僕とか駆り出されて店へ車で向かった。
店員がいるときは、まだましで無人の時は本部からセキュリティーカードや鍵を持ち出して向かった。
始めて入る建物のセキュリティ解除を失敗して警備員も駆けつける事さえあった。
だいたい接続されてるケーブルの抜き差しで復旧した。(何かおまじない的だった)
この話をすると良く判ってない上司は「店員にやらせればいい。」と言うがそうもいかなかった。
電話で、このケーブルを抜けと指示するとわざとだと思うくらい電源ケーブルを平気で引っこ抜きPCダウンさせてしまい更に事態を悪化させた。
酷い時は東京から埼玉に東北自動車で入り横断して帰りは関越自動車道だったりした。
茨城の同じ店を1日2往復した事もあった。
だから次期OSにWindows XPは採用しない方針になった。
Windows XP
次に自腹で買ったPCのバージョンがこれだ。
郊外の家電量販店で2機種のノートPCを買った。
松下電器産業製と日立製だ。
前者は展示品で10万円の破格値だったので買った。
後者は配偶者が私もPCしたいとせがむので止む無く店頭価格の23万円で買った。
Windows Vista
近所のインターネットカフェで1度使ったきりだ。
GUIがWindows XPと、さほど変わってなかった。
特に深い印象はない。
Windows7
Windows XPがサポート終了を期に買った中古PCのバージョンだ。
このバージョンへ乗り換える際、既存PCでは無理で買い替えを強いられた。
Windows11でも同様な事がおきそうだ。
それともWindows8.1の様な見送りOSになってしまうのか。
Windows8.1
このバージョンのPCを触ったのは後にも先にも1度しかない。
転職で東陽町にある人材派遣会社に面接に行った時だ。
面接の最後にPCスキルを知りたいと差し出されたPCがこのバージョンだった。
超簡単なExcelの入力だったが起動すらまごついた。
途端に緊張が走って手が震えて入力もおぼつかない。
僅か30秒で実技は終わった。
結果は言わずもがなだ。
Windows10
過去のブログで、このバージョンのPCについてあれこれ言ってるので、もう話すネタがないと思った。
でも話尽きないのが、このバージョンだ。
僕が後にも先にも自腹でOSを買ったのは初めてだ。
それだけ手に入れたい機能がある証だろう。
Microsoftの戦略も功を奏した。
過去のバージョンのOSから無償でバージョンアップを認めた。
かなりロースペックPCでもインストールできる事も僕を夢中にさせた。
(追記 2021.7.24)
ここでWindows10に纏わる、どこでも話してないエピソードを紹介する。
TWICEの”FANCY"だ。
これをWindows10をインストールしたPCの動作チェックとして流した。
上手く流れないと原因を調べて調整した思い出の曲だ。
TWICEの曲は今でもお世話になっている。
4K動画を再生する際もTWICEのMVが奇麗に流れるかチェックに使っている。
ビジネスライクに言えばブラットホームを安価に導入させコンテンツで儲けるスタイルだ。
Windows11でも、このスタイルは貫かれる。
Windows11
(注記)
ここでの記述はリリース発表時の情報に基づいてのみのものです。
その後Microsoftからシステム要件の見直し等おこなわれています。
Windows11とWindows10のシステム要件の比較は以下の通り。
出典:窓の杜 |
自分のPCが対応したものか確認するにはスタートメニューからWindows管理ツールのシステム情報を起動しBIOSモードとセキュアブートの状態を確認する。
ただし、この情報からだけでは不十分だ。(追記 2021.8.21)
昨日めでたくisoファイルがダンロードできる様になった。
早速ダウンロードしてrufusでUSBメモリに起動ディスクを作ろうとした。
2時間以上たっても終わんなくて最後は異常終了した。
(追記 2021.8.22)
翌日気を取りなおして別のUSBメモリに作ってみた。
上手くいった。
でも起動するとエラーメッセージが出て結局だめだ。
「はっ?」と思って次にふと閃いた。
仮想マシンがあるやん🥰
仮想マシンで起動してみた。
エラーが出た。
そうやん僕のPCはそもそもインストール不可だから出来る訳ないやん。
(追記 2021.8.30)
一旦閉鎖されてたPC正常性チェックが再びMicrosoftから公開された。
理由は2つある。
TPM2.0をサポートしてない件は判っていた。
意外だったのがCPUもサポート対象外な点だ。
Windows10のサポート期限が2025年10月までだ。
いつも通り焦る必要はないがWindows11には気になる機能がある。
Androidアプリを実行できる事だ。
(追記 2021.9.1)
MicrosoftはWindows 11の提供を10月5日より開始すると発表した。
なお期待されていたAndroidアプリへの対応は初期バージョンには含まれない。
AmazonやIntelとのコラボレーションを通じWindows 11と「Microsoft Store」にAndroidアプリを導入するための取り組みを続けるとしている。
プレビューの開始は年内にも「Windows Insider Program」で実施される見込み。(出典:窓の杜)
Windows10ではGalaxyスマホと同期すれば似た体験が出来る。
システム要件は巷のPCで全く問題ない。
しかしセキュリティをかなり強化したいため、そこがネックになってインストールできないPCが続出しそうだ。
このままコロナ禍が続き旺盛なPC需要で買い替えが進むのか。
それとも、この需要も一巡して全く盛り上がらないのか。
僕御用達の中古PC市場で値崩れは必至だろう。
Windows365
月額クラウドPCを8月より提供開始するとMicrosoftから発表があった。
こっちの方が僕にとっては衝撃が大きいかもしれない。
僕はシトリックスが創設された時から、この技術には注目してた。
やっと実用化に向け、ここまで来たかと感慨深い。
と、ぬか喜びだった。
職場や学校のMicrosoftアカウント(AADアカウント)でしか利用できない。
個人用のMicrosoftアカウントでは当面は利用できない。(残念( ノД`)シクシク…)
(追記 2021.8.8)
Windows365を使ってみた方の感想だとリモートディスクトップ接続したPCと感覚は同じそうだ。
原理は全く同じなので当たり前と言えば当たり前な話だ。
ここで、そもそもPCって何だという話に戻ってしまう。
パーソナル即ち個人が使うコンピュータと謳っている。
だから他のコンピュータ(スパコン、サーバー、マイコン等)と違い得手不得手がある。
そして又話が堂々巡りで結局今のPCって必要って話になってしまう。
だから今の今までクラウドPCが普及しなかった理由にもなる。
エピローグ
話をTVチューナーに戻す。
TVチューナーの機能を満たすためには僅か11×7cmのパーツを追加するだけで事足りる。
あらためて考えてみるとPC全体の容積に占める割合は僅かなものだ。
これをTVという別の製品に置き換えた途端PCと同等かそれ以上の容積を必要とする。
これは何を意味するのか。
実は僕たちは余計なものをいっぱい持たされている気がする。
何故こんな話から始めたか実は電卓だって最初は単品だった。
電卓って今やWindowsでもスマホでも最初からアプリのひとつとして、ひっそりある。(ほとんど使い道はないが)
これはPCの歴史を振り返ると、どうしても電卓なしでは語れないので、その敬意の意味もこめて未だにあるんだと思う。
電卓をより高機能なものにしようと開発に携われたビジコンの嶋さんとintelのファジンの功績により生まれたintel4004(4ビット)が最初だからだ。
(追記 2021.7.5)
この投稿で、これに触れるか最後まで悩んだが一応挙げておく。
メモリ1Kの4bitのCPUの所謂マイコンだ。
BASIC言語でプログラミングした。
写真からも分かる通り1行12桁の画面でJISキーボードだった。
つまり初めて触るコンピュータが、こんな見難い画面で訳も分からないアルファベットの配列を人差し指だけで押す事は苦痛でしかなかった。
だから最初の僕のコンピュータへの思いはかなり屈折したものでしかない。
この思いはポケットコンピュータの時にも経験する。
同じくCASIOのBE-500だ。
専用タッチペンで操作した。
2000年代に携帯電話とは別の流れで多機能携帯端末(PDA)が発売されていた。
Windows CE 3.0を採用しているらしいがPCではなかった。
CASIOらしく廉価でいろんな事ができることを売りにした。
メモリがROM16MBでRAM16MBだった。
そのため、ある機能を追加するとある機能を削らなければいけなかった。
その際の操作はPCを介して行った。
それが非常に煩雑で使用に耐えれなくなった。
購入動機は手書きの手帳の代わりだった。
だから最終的にその機能(スケジュール管理)に絞って使う事にした。
だが全く使用に耐えがたかった。
理由は入力作業が面倒だった。
タッチペンによる手書き入力に最初は期待したが識字能力が低かった。
途中からアルファベット入力に切り替えたが画面が小さすぎた。
今でさえ僕はスマホと手帳を併用してるので当時の技術なら無理な話だった。
つまり集積度は今なお上がっている。(もうそろそろ限界だけど)
またWindows11に話を戻すとWindowsにはアタリとハズレがある。
Windows95、Windows XP Windows7 Windows10 → アタリ
Windows ME、Windows Vista、Windows8.1 → ハズレ
とくるとやっぱりWindows11はハズレになる。
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