橘たかし no 皆の仲間: 第7回 ブラック企業とは私の就労体験から言える事

2021-08-03

第7回 ブラック企業とは私の就労体験から言える事

はじめに

このシリーズも長いもので第7回になる。

最初は自分史を紐解けばブラック企業が何たるか判るのではないかという些細な思いから始まった。

だが中々結論に至らず途中から偉人の手も借りながら続けてきたが、そろそろ本当に結末にしようと思った。

今回は、そんな回になればと期待する。

認識とは

とある大学のゼミでこんな実験をした。
学生達に、この絵を見てもらい思ったことを好きに話してもらった。

「リンゴを丸かじりすると歯ぐきから血が出る。」

「リンゴの皮をむくのは丸ごとだと難しいので4つに割ってからむきます。」

「高校生時代、母が作った弁当には必ず1/8切れのリンゴが入っていた。」

「梨は鳥取県が有名だけど収穫量は千葉県が1番だ。」

1人が梨について話し始めた。

他の学生がリンゴについて話してたはずが梨と認識した学生もいたようだ。

カーゴ・カルトをご存じだろうか。

カーゴ・カルト(cargo cult)とは主にメラネシアなどに存在する信仰だ。
いつの日か先祖の霊または神が天国から船や飛行機に文明の利器を乗せて自分達のもとに現れる、という現世利益的な信仰である。

近代まで文明の利器を知らなかった未開人は西洋人が持ち込んだ工業製品に対し、これは神が作ったもので白人は神と特別な繋がりを持って不当にそれらを占有したと考えた。

つまり、ある事柄を認識する際大なり小なり誤解が生じるものだ。

この誤解は人や地域によって生じることもあれば時を経ることで生じることもある。

だから日々の仕事でも上司は自分の事をよく理解しているようで無頓着だったなんて事はザラだ。

現代人の危さ①

有史以来「自由」「平等」が叫ばれ、その軋轢との戦いを繰り返した時はかつてない。

そして「自由」「平等」を勝ち取り高らかにそれを謳歌する時でもある。

しかし、そこには個人に対し「孤独」という仕打ちが待っていた。

たとえば今の受験制度は「教育の機会均等」という号令のもと始まった。

つまり同じ教室の生徒たちは途端に競争相手となり互いに孤立させ己の事しか考えさせなくさせた。

現代人の危さ②

きつい仕事の代名詞が「肉体労働」だとしたら、その反対の仕事は何だろう。

「感情労働」だ。

「感情労働」の代表格が接客業だ。

ホテルマンやウェイターは自分の感情を押し殺し常に笑顔を強要される。

ただ広い意味での「感情労働」は普通なサラリーマンにも言える。

常に上司のご機嫌ばかり伺いペコペコする。

女子社員を敵に回すと仕事に支障をきたすので言いたくもないお世辞を並べる。

肉体を酷使した仕事から解放された途端今度は精神をすり減らす。

現代人の危さ③

現代人が自らの価値を高めるためのみに存在しているとしたら疲れる。

せめて他人のため社会のためと言いたいが、それは上辺だけで本当は自分の出世が大切だ。

昔は最高の価値を「神」に置いたので神に捧げるといった行為が幸福だった。

その崇高な価値を「神」から引きづり降ろし自らに捧げた途端気持ち悪くなってきた。

「神」に捧げた幸福感を自らに向けたら、もっと幸福になると中学生が考えそうな事をやってしまった結果だ。

おわりに

認識論めいた話から始めて、つらつらと話したが結論を述べる。

結局、己の直観を信じるしかない。

己の良識を信じて行動するしかない。

己が真っ当な家庭で育ったなら、そこで育まれた見識を信じるしかない。

巷で目にする情報で得た薄っぺらな叡智だけで動いても無駄な気がする。

まだ、この話は当分終わりそうもない。(つづく)

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