橘たかし no 皆の仲間: 2014

2014-05-09

第3回 ブラック企業とは私の就労体験から言える事

想定外の都落ち

突然、異動が決まった。

場所は埼玉県所沢市の生鮮センター、同期が先発で赴任していて、その交代要員だった。

コンピュータ部門で出世したいのであれば必ず経験しておいて欲しい部署として新部長は判断していたらしい。

しかし、ここが後にお荷物というか超ハイパー約束違うじゃん的処置をされる。

つまりコンピュータ部門外しだ。

将来的に不況に突っ込んで行く過程で正社員を常駐させるには経費が嵩むお荷物部署となった。

前回、少し話した青果センターと同じ扱いだ。

つまり青果(野菜)生鮮(肉・魚)をパッケージし値札を貼って店舗、宅配センターへ配送する拠点を制御するコンピュータを誰がお守りするかが問題となった。

経営陣は経費削減を求めるが、お守りには、それなりの専門知識が必要で、そうは言ってもコンピュータ部門の正社員を常駐させるにはコストが合わなかった。

そこで青果センターは全くもって専門外の一般社員に担当させた。

生鮮センターは元コンピュータ部門の正社員の中の超問題児(誰ともろくに話ができない超コミュニケーション欠如者)を常駐させる事で落ち着く。

ちなみに彼は、そこで20年間、毎日、毎日同じコンピュータ処理を繰り返す作業に耐え見事に係長に昇格する。

しかし、これは後談であり私が異動した当時は出世するための通過点でしかなく約1年から半年で本社に戻れた。

異動してみると私と同期だった富樫と生鮮センターのコンピュータ部門専属枠で入社した岩淵とパート職員が2名居た。

場所は最寄り駅が西武池袋線の所沢駅からバスで30分で東武東上線の志木駅からだとバスで20分のところにあった。

まず、この立地が私を苦しめた。

朝9時に第2便の納品書出力と言うのがあって当番の1人が、朝9時までに出勤して対応する事になっていた。

もし遅刻すると、その出力がスットプする。

のみならず出力される店舗ごとの納品書を控えとトラック運転手に渡す分に剥がす。(2枚綴りだから)

そして非常階段を駆け下りて(事務所は2階にあった)商品を満載したトラックが冷蔵室に向かって後ろ付けされた場所までダッシュしなければならなかった。

おまけに、その納品書を出力する前に訂正伝といって発注通り生産できなかった商品の訂正数を入力すると言う前処理が必要だった。

だから尚更、午前9時出勤が厳守された。

つまり出荷がスットプし店舗の入荷が遅れ各店舗で入荷を待っている正社員、パート、アルバイトを遊ばせるというか開店に間に合わないとロスになる訳だ。

ところが、ご承知の通り私は朝がダメで、しばしば遅刻しそうになったし遅刻した事もあった。

まず遅刻しそうな時は最寄り駅(志木駅)からタクシーを飛ばした。

宮原交通、忘れもしない。

タクシー運転手と親しくなり過ぎて乗車した私の顔をみただけで黙って生鮮センターまで向かってくれた。

焦っているのを百も承知で実際は余り意味は無かったが裏道らしきルートを通るタクシー運転手がいた。

また車内に携帯テレビを持ち込んで、それを観ながら運転する超脇見運転、交通違反すれすれタクシー運転手もいた。

運賃は勿論、自腹だった。

因みに通常であれば送迎バスがあり、それを利用するのだが1便しか運行していなかった。

それを逃すと路線バスだが、まず都合のいい時間帯には来なかった。

確か路線バス運賃は交通費として支給されていたので送迎バスを利用すると、その差額がまるまる儲けになった。

そして遅刻した時は怒られた。

まず富樫それと情報処理担当課長、挙句は生鮮センター長(のち常務理事)に罵倒された。

よって、まず、この時間の縛りが嫌だった。

後に私がシステム開発部門に配属された際は部長に対し

「システム開発とは四六時中、頭をフル回転させる仕事なので休まる暇がない、よって勤務体制をフレックスタイム制にせよ。」

と労組を通さず直談判した。

当時フレックスタイム制を採用している会社は少なく労組としても、どんなメリットがあるか理解不明のまま了承した。

話を戻すと職場環境も劣悪だった。

まず肉と魚の異臭が2階の事務所まで漂っていた。

それは血のりが着いた作業着のまま社員が平気で闊歩していたからだ。

後に改装され密室になったが当時はコンピュータを操作するフロアをパーテイションで区切っただけの場所で商品検査も行っており薬品か何かの激臭がして閉口した。

また食事は食堂が同じフロアにあり日替り定食とカレー、うどん、ラーメンしかメニューは無かった。

ご飯は自分でよそおい、お替り自由だったがジャーを開くと古米の異臭がし食えた物でなかった。

あとパン、ジュース、タバコの自販機があった。

そして食後、男子は10畳位の休憩室にごろ寝していた。

そのセンターの情報処理担当課長など昼12時半から午後3時まで平気で仮眠していた。

私は何か不衛生でノミがいそうで嫌だったので1度も足を踏み入れた事がない。

帰宅も定時の送迎バスがあったが利用した記憶は少ない。

路線バスかタクシーだった。

終電が終わった後にタクシーを利用した際は長距離利用者が珍しく運転手は舞い上がっていた。

また、しばしば領収書をもらい忘れて出金伝(科目:通信交通費)が切れずに泣き寝入りした。

話を異動した頃に戻す。

同期の富樫の私に対する態度が豹変していたのは驚いた。

新人研修中は東北出身の朴訥な温厚な奴だった。

だが恐らく岩淵が、それまで構築したコンピュータの運用環境が劣悪だったので、それを改善するのに躍起だったのだと思う。

それ位、酷かったのは私も納得した。

JCL(マクロ化もされてない処理が存在した。)が意味なく細切れにされていて、どの順番に起動していけばいいか、そのシステムを熟知してないと無理だった。

それを岩淵は全く専門知識が無かったせいか有り難く言われたまま繰り返すだけしかしていなかった。

もっとコンピュータなんだから機能を駆使して自動化すれば意味無く残業したりせずに済むはずが、そうでなかった。

確か岩淵が自作した作業順番表(そこに命名されたジョブ名が3文字だったり5文字だったり命名規約が全くなかったから覚え辛くてしかたなかった。)なるものを頼りにジョブを起動していった。

それを富樫は命名規約を決めマクロ化やジョブグループ化などして最適化、最効率化している最中だったから目が血走っていた。

だから常に私に対して上から目線で命令口調に変わっていた。

と言うか彼とは、ずっと仕事を共にするが常に上司からの期待が大き過ぎてテンパッタ状態だったから周りに威圧的だったのだと思う。

だだオタクなので同じパソコンオタクの棟方とパソコン談議で花が咲き、その時は口が綻んでいた。

アルコールが入ると「とんちゃん」「ちゅんちゃん」と呼び合う陽気な奴だった。

因みに岩淵はコンピュータ分野では全く才能を開花することが無かった。

本社コンピュータ部門へ異動となり才能が無いから誰からもプログラミングすら頼まれず、ぶらぶらしていた。

ところが何かを自覚したのだろう。

会計や財務といった分野の勉強を職務中に、こそこそしだした。

そこで培った知識が買われて部長が経営戦略担当理事に就任した際、腹心として抜擢され、のち課長に上りつめた。

つまり人材と仕事のバランスが不均衡だったため能力の高い奴に仕事が集中し、そうでない奴は暇を持て余すといった事が職場で起こっていた。

そこで余った時間があった奴は自己啓発に費やし新しい道を見出した。

面白い話があった。

本文とは全く関係ありません
また部長の趣味で才能ゼロの可愛い子ちゃんが異動してきた。

彼女は僅か0.3人月の作業を半年間も完結出来ぬままでいた。

毎週火曜日の全体会議で今の自分の仕事の進捗状況を報告する。

だが彼女は毎回、同じ話を繰り返し全く進捗がなかった。

それが全く問題にならなかったので私が上司に抗議した。

その上司は黙って彼女の代わりにその作業を半日も掛けずに仕上げた。

その後、彼女にどんな軋轢があったか知らないが数週間して退職した。

話を生鮮センター時代に戻す。

コンピュータのオペレーションには慣れたが、ずっと慣れない事があった。

帳票配布だ。

数十種類もの帳票が出力されるが、それを帳票タイトルを頼りに担当者の机に置いて回る作業だ。

だが帳票によっては誰に何部渡すか同じ帳票を部数ごとに切離す(連帳だったので)のには苦労した。

また机に帳票を置くと、お茶やコーヒーを溢す奴がいて

「ゴメン、出し直して。」

と平気で言う奴もいた。

課長クラスの奴ばっかだったから文句も言えず再出力する。

帳票イメージを保存していれば、まだ楽だ。

だが保存してないとなると入力データをコピーするかジョブの途中から流してデータを作りプログラムから作表するのが超面倒だった。

そこで私の提案だが整理ケースを用意して、そこに部署名と担当者名を記入したステッカーを貼り、その各引出しに帳票をぶち込む様に改善した。

そして運用し始めて判った事は暫く経つと引出しにある帳票が溜まり始めた。

つまり全く使っても無い帳票をダラダラ出している事が判明し無駄もなくせた。

それと参ったのが毎月の締めの商管表の出力だ。

まず締めの仕入伝が集まらない。

各担当者は自分で抱えたり訂正伝や返品伝を出し忘れたりと商管表の再出力など度々あった。

それでも多額の不明ロスが出て生鮮センター長が最終チェックするのだが自分の勤務評価に繋がるから細かいとこまで突っ込んで質問して来た。

コンピュータの誤動作で数字が狂ったとか、とにかく難癖をつけられた。

仕入伝のパンチングは好きだった。

始めこそテンキー入力に不慣れなため時間が掛かり入力ミスも多かったが次第に慣れテンキーを見ずに入力できミスも減っていくと

「単純労働ってなんて楽しいんだろう。」

と、しみじみ感じた。
年号事件

私が生鮮センターで働いてる最中に昭和天皇が、ご逝去された。

そして年号が昭和から平成になった。

ここでコンピュータでの大問題が日付だ。

つまり今まで日付を和暦と西暦を混合して使っていた。

それはシステムを構築したのが昭和時代だったから日付の加減は和暦でも西暦でも問題なくできた。

ところが年号が変わると数字がゼロにリセットされるから和暦が極力使い難くなってしまった。

そこで会社の方針として日付をすべて西暦に切替える事となった。

すると和暦で日付していた場合、桁数が2桁から4桁に増える(1999年までを想定すれば2桁で構わないが近々に2000年を迎えるから、これを期に4桁にする考え方)となると1レコードのレイアウトの変更が必要になる。

ただし空き領域があれば、ましな方で空き領域がなければレコード長が伸びファイル領域の見直しまで迫られる。

どのファイルの1レコードの何桁目から何桁目が日付なのか洗い出しから始めなければならない。

レコードレイアウト設計図などドキュメントがあれば助かるが作成しない場合がある。

またジョブ内でソート(分類)で日付がキーになっているとキーの指定位置と桁数の変更も必要になってくる。

プログラムの変更も当然、必要になってくる。

また切替えのタイミングも非常に難しい。

入出力媒体(主に紙)の表示ないし記入を何時から切替えるか調整が必要になる。

という訳で前にも述べた、ずさんな管理をしていた生鮮センターのシステムは、ろくなドキュメントがない為、困難を極めた。

私は正直、無理だと尻込みしてしまい全部、富樫に任せた。

彼は、それに答えようと必死だった。

過程は省略する。

結論だけ言うと大失敗だった。

今でも覚えているのが全くデタラメな結果になった生産指示書を出力してしまい復旧する目処も立たない中、生産時間が来た。

生産工程の担当者が何の騒ぎもなく日常通り、その帳票を持ち帰って生産を始めたのには驚いた。

彼らにとっては値が誤っていようが生産することが重要で誤った数の商品が店舗や宅配センターに届いても全く商品が届かないより益しと言った判断だった。

訂正を後ですればよしとしたのだと思う。

検証

期間にして半年位だったと思う。

しかし、ここで多くの経験を積む事となる。

ブラック企業とは何か話すとすれば劣悪な環境もブラックの要因だと思う。

劣悪な環境なのだから、それなりに給与を高額にすべきだが全く考慮されてない。

本社もセンターも同じ給与体系だ。

若干、本社の方が就労時間に比べ有給休暇が少なかった気がする。

さらに生鮮センターには生産工程だけでなく原料工程という部署がある。

毎日、零下30度の冷凍庫での作業を余儀なくされる人もいる。

冬場はともかく夏場は外気との温度差が激しく体調を崩し易い。

また生産工程に話を戻すと毎日、ひたすら冷凍魚の頭か尻尾を切り落とす単純作業を繰り返し指が腱鞘炎になって曲がらなくなった人を私は知っている。

私は彼に

「労災を申請すれば。」

と忠告したが、そんな事したらクビになるからと断られた。(つづく)

2014-05-08

第2回 ブラック企業とは私の就労経験から言える事

入社1年目

コンピュータ部門に配属された新人は私も含め男7人・女5人の計12人だった。

募集要項では最終学歴は高卒以上となっていたが実際は大卒が9人で専門校卒が3人だった。

この12人は微妙に入社日が違う。

1次採用者は3月15日付で2次採用者は3月21日付だった。

入社して直ぐにプログラミング研修が始まった。

私は2次採用組なので1週間後から研修に参加したが全く遅れを感じなかった。

それは当時の講師だった女のカリキュラムの特性だった。

ちょっと専門的になってしまうがプログラミングは構造化されておりバッチ処理なら基本構造が4パターン位しかない。

そして各プログラム内の構造も初期処理から始まり主要処理、終了処理の3段階になっている。

また個々の処理を更にサブルーチン化するといった手法が一般的に取られていた。

つまり雛形(今流で言うテンプレート)が用意されており、ある箇所を修正するだけで短時間でプログラムが完成した。

しかし講師は処理結果が合ってさえいれば頭から最後まで自らの発想だけで自由にプログラミングしろと課題を課した。

おそらく10本以上はプログラミングしたと思うが定型がないから各自、内容がバラバラだった。

先輩にアドバイスを求めた際もステップを追うことさえ難しく、どこがバグなのか究明するのに時間を要した。

もっと具体的に言うと初心者が多用しやすいGOTO文を使ったプログラムだったので効率性がなく複雑怪奇になった。

それでも皆、課題をクリアして行き最後のプログラムとなった。

それがカレンダの作成プログラムである。

ある年を指定すると、その年のカレンダを作表するものだった。

これには4次元テーブルの知識をフルに活用する必要がありプログラミングに時間を要した。

そして女2人が遂に完成出来なかった。

その1人は専門校出身者だが、こんなプログラムは習ってないと愚痴を溢した。

その女2人は3ヶ月目に辞めてしまった。

それまでは皆、同僚のよしみで公私に渡り交流があった。

一緒に飲みに言ったりボーリングや卓球、アミューズメントパークにも行った。

何か大学のサークル活動の延長の様で楽しかった。

また、そこには専門校出身の1年先輩の女2人も意気投合して行動を共にしていたので私だけかもしれないが恋愛対象として暑い視線を送っていた。

そして忘れられないのが男女の労働不均衡社会の最後の年だった事だ。

朝、出勤すると女は男に、お茶かコーヒーを出した。

当番制になっていて交代で給仕をしていた。

タバコも机に灰皿が置いてあり自由に自分の席で吸った。

我々、新人は自分の席でタバコを吸う事に抵抗感があり階段の踊り場で吸った。

しかし男先輩からは、それが気に入らなくて自分の席で吸えと注意された。

研修は半年続いた。

そして実務に入ったが残りの半年は全く仕事らしい仕事をしなかった。

男の先輩は午後くらいから平気で居眠りしていた。

不景気だからでなく十分、売上高が伸びている時代だったが大きなプロジェクトが終わった端境期だった。

そいった中、急激に伸びていた宅配事業のため宅配センターの新設が相次ぎシステムの改修が必要で当時の課長と1年先輩の女2人が担当していた。

後は定期処理で利用割戻しがあった。

年間の購入額を、ある利率の現金で払い戻す処理だった。

しかし、それが失敗した。

払い戻し金額が違っていた。

その担当者の女は、なんらかのペナルティを追ったはずだが詳細は分からない。

また、こう言ったプロジェクトのプレッシャーが相当、重圧だった事は後に思い知らされる。

2年目の悲劇

実は働いていた会社は雇用元と違う委託会社で出向扱いだった。

それが突然、解散する事になった。

まだ新人だった私には、その経緯が全く判らず出向が解かれ元の会社のコンピュータ部門として引き続き働く事になる。

そして13人いた部長、課長、主任クラスの人材が新会社を設立すると称して一気に退職してしまった。

特に1年先輩の親密だった女2人も退職し、それが一番ショックだった。

実務的なベテラン社員が一気に13人も居なくなり、これまでのコンピュータサービスを、それでも維持しなければならない困難にぶち当たった。

そして私は、その時プロクラムを組む側からプログラムを操作する側に移っていた。

それと同時に新部長が就任した。

(追記 2021.7.22)

この新部長は後に50代で過労のため他界する。

経営統合の際、彼は関連会社の取締役社長として新任した。

しかし、その会社が受注した宅配新システムが稼働日を迎えても全く完成しなかった。

その事後処理のため新社長は納品先の北陸に昼夜張付いた状態の生活を約半年送る。

確か経営戦略部門から迎えられた。

彼は当社の宅配システムを構築する際の立案者だった。

商品を詰めるケースを配送が終わった後かさばらない様、折りたためるケースを開発し特許も取得していた。

また大手コンピュータメーカーとも太いパイプを持ち影響力が強かった。

ここからは憶測だが、その新部長は全くコンピュータのセンスの無い女を多く採用した。

これは日々の仕事に忙しく恋愛などする暇のない男に少しでも婚姻の機会を与えたいという思惑があった気がする。

実際、職場結婚した者もいたし私も自宅で手料理を食べて欲しいと誘われ、はせ参じたが料理が不味くて閉口したのを思い出す。

また新部長はコンピュータを操作する部署のスキルの低下を懸念し大手コンピュータメーカーから1人をスカウトし課長として迎えた。

しかし、これが今後この会社がブラック化する根源となる。

まず、その新課長の特徴が常に大声で怒鳴りあげ相手を威嚇して服従させるといった私が、これまで遭遇したことのない人物だった。

私は朝が弱く(別に低血圧などでなく)よく遅刻した。

就労規則では月3回以上遅刻をすると、その理由を報告書で上げるよう義務付けられていた。

それは、それで規則なので自分の中で納得していた。

しかし、その新課長には遅刻自体許せないらしく、というか、こんな時にしか自分の威厳を誇示できないか他の社員の前で私を罵倒した。

そのくせ実務レベルのスキルは低くかった。

入社2年目の私が分析したオンラインプログラムを彼の前で説明した際オンラインプログラムの原理(トランザクション)しか理解していなかった。

この人って全くスキルの無いのに何を偉そうにしてるんだろうと増々不信感が募った。

たまに忘年会で話す機会があると

「失敗した。失敗した。」

と愚痴った。

つまり今で言う大企業の安定性からベンチャー企業の高収益性を求めたはずが一向に給与が上がらなかった事に不満があったのだ。

しかし、それを会社の責任にするのは、いかがなものかと思った。

また、こんな事もあった。

あるコンピュータ処理を先輩は自分の経験則でのみ処理しようとしていた。

私は、それに待ったをかけた。

何故ならコンピュータを操作する世界で、その処理内容をチェックせず曖昧な判断で断行しようとしていたからだ。

専門的にはジョブフローも存在せずマクロの吟味もせず断行する事に生理的に抵抗があった。

すべての処理にジョブフロー、指示書、運用マニュアルの3点セットを必ず添付する事を働きかけたのは入社2年ちょっとの私だった。

そういった意味で私は、その部署で標準化に数々、取り組んだ。

ジョブフローの標準フォーマットも、その一つだ。

当時ごく一般のパソコンに必ずインストールされている表計算ソフトの図形機能を使った。

セルの高さと幅を絶妙に調整しB5サイズに一列3ステップを4行と定めた。

その過程でジョブフロー作成ツールを導入する動きもあったが操作方法を取得する手間がかかった。

レイアウトを本人任せにするため非常に成果物にばらつきがあった。

また他人が修正する際その人のパソコンに必ずそのソフトウェアをインストールしなければならない。

そのインストール、バージョンアップの管理を誰が、どの様にするか全く議論せず単純に手書きより楽といった短絡的な考えから始まった。

そこで私は、その動きに対抗するため自らコツコツと表計算ソフトで作成した。

ジョブフローを次々とファイルサーバーに蓄積していき全ジョブフローの約3分の1を網羅した。

そして自然発生的に、その表計算ソフトを使って修正箇所のみ修正したジョブフローがシステム会議の場で提出される様になった。

またプログラム仕様書も同じ表計算ソフトを使って表紙の概要書、関連図、ステップ説明書の3点をセットにし標準化に成功した。

しかし、これらは慈善的な作業だったので考課には全く反映されなかった。

今になって振り返ってみると、もっと前段で問題提起し全員の議論を深めて実施するべきだったかもしれない。

実は、それらを議論するべき素案を提起する様、ある課長の課題とされたが彼は頑なにその課題を先送りし豪を煮やした私が、こういった行動をとった。

その課長は後、私との考課面接で高評価してくれて私は係長になったのは偶然でない。

ちなみに係長になったのは、かなり後で同期に入社した中では一番最後だった。

(追記 2021.7.22)

ここで私の係長時代に少しふれる。

部下は僅か3人の精鋭達だった。

システム管理つまりITインフラを司どった。

と言えばカッコは良いが中々上手くいかなかった。

PC周りの環境整備には苦労した。

丁度インターネットが普及し通信環境が変わっていく最中だった。(専用線→VPN)

だから現行のインフラの維持だけでなく新たな提案も必要だった。

一方、無計画に処理を続行しようとした先輩は課長になってすぐ気分障害で異動する。

つまりコンピュータには緻密さが要求されるが彼の様なガサツな人には不向きだ。

さらに彼は異動先の店舗でも商品発注ミス(ロット単位の見誤りで大量発注をかける)で、また自宅療養の羽目になる。

それと外注とパートをコンピュータ操作要員として雇用したのにも閉口した。

まずコンピュータの周辺機器(プリンタとMTが主)の操作技能の取得に無理があった。

直接パートをマネジメントする羽目になった私の能力不足もあり教えるより自らやった方が楽と勝手に判断したためパートは一日中ぼーっと椅子に座ったままの日々が続いた。

そして、たまに私は「仕事とは」といった抽象的な話をして、それを、そのままノートに書き写していたのが虚しかった。

そして2、3週間で彼女は退職し店舗社員(美人だったので、会社中で付き合いたい男がいた)と結婚し幸せな日々を送っているともれ承った。

一方、外注の方も問題が多かった。

当時、派遣業社があったか不明だが非正社員が、どういった処遇で、どいったスキルで入社したか全くの未知数だった。

一通りOJTしたら、それなりの作業はこなせたが責任感が薄かった。

いくら、この会社に忠誠を誓ったところで、すぐ次の場所に異動させられるという思いがあった。

また感情の起伏が激しく腹が立つとダンボールを蹴散らかして平気で穴をあけていった。

全く紳士的でなかった。

それと特筆すべきは親友になった白石だ。

彼は今で言うパソコンオタクで当時8ビット、ザイクロ製Z80プロセッサを搭載したマイコンでマシン語を使い高速処理のゲームソフトを作成できるだけのスキルがあった。

しかし、そのスキルを仕事に全く生かさず暇さえあればIBM製パソコンでBEEP音を鳴らしてみたり、ふざけてばかりいた。

そういったもんだから、すぐ勤務評価が下がり一人埼玉県にある青果センターのAS/400のお守りを任された。

しかし青果担当の依頼のプログラム作成もそっちのけで、そこでも問題児扱いされ突如、店舗異動を命ぜられる。

そして店舗業務をすることなく退職した。

それ以来、彼とは連絡を取ってない。

そして青果センターに残されたAS/400だが運用は青果担当に委ねられた。

また私が現状調査のため青果センターを訪れた際、残された彼が作成したグラフィカルなスクリーンセンバーが虚しかった。

途中検証

さて、ここまでの話でブラック企業たる要素を検証してみる。

まず大量採用だが急激な雇用が生まれ人員不足による緊急処置だった事が後に判る。

また成長分野だった宅配は劣悪で注文された商品を会員に届けるだけでなく会員の新規加入を募る仕事も、こなさなければならなかった。

現在は勧誘活動の専門職がいるみたいだが当時は、そういった人員を割く余裕がなく強要されていた。

つまり勧誘してくる人数のノルマが課せられ、それに達せ無い者は達するまで帰ってくるなと竹刀を振りかざす上長がいた話は有名だ。

よってノルマ達成のため自ら会費(5千円)を負担し5口や10口も自己負担する社員がいた。

後にマスタから同一名で、同一住所同一電話番号だった会員を抽出する作業に立ち会ったから正確に覚えている。

よって離職者が後を絶たず常に公募する状態だった。

しかも運転免許を持ってない者にも会社負担で免許を取得させていた。

ちなみに同期で宅配事業に配属された同じ大学の者は1年後1人も残ってない。

またコンピュータ部門に全くの素人を配属させるのも検証の余地がある。

今ほどコンピュータ技術が高度でなくメーカーのサポートも手厚かった。
正確にはメインフレームは数億はする機器で、それだけの代価を払っているからメーカーのサポートも当然手厚かった。

そして研修中の僅か3ヶ月で退職する、しかも専門校出身がなどから、もっと事前に自分は、こいった分野に不適切と判断できなかったのだろうか。

これは雇用元も含めた検証材料だ。

また突然の会社解散による人員不足だ。

それは後々まで私の職場の劣悪さを引きずるきっかけになった。

つまり入社1、2年目の社員が時間を掛け、それ相応のスキルを身につけるはずが突然、最前線に立たされ重大な責任を負わせられた。

これはコンピュータに関する専門知識だけでなくビジネスマンとしてのレポート作成や上司、部下とのコミュニケーション能力、プレゼンテーション能力といった分野に及ぶ。

そして、そこには勝者はおらず敗者のみがいた。

当時よく言われたのがコンピュータシステムは

「出来て当たり前、出来なければ自ら去れ」だ。

システム構築とは「予算、納期、品質」を守るのが常識で低予算で済んだ納期が早かった、高品質だった事は高評価にはならない。

そんな厳しい世界だと入社後、随分たって思い知らされた。

だから私の基本給(当時は、残業代が高かったから気にもしなかったが)が20万円以下だった時代が30代後半まで続いた。

今に照らして言えば急成長期の企業は、まず社員が若いためビジネススキルが低く「てにおは」も満足に使いこなせいため職場が混乱している。

責任所在も、はっきりせぬまま見切り発車する。

さらに低所得(社員より株主に高配当が行く構図)といった事が起こる。

最後に人間関係にも触れておく。

ビジネスだから、すべてビジネスライクに繋がればいいかと言えば、そうもいかない。

もっとスキンシップが大事な場面もある。

その距離感が難しい。

そこを誤ると折角、良好だった職場が一気にブラック企業と化す。(つづく)

2014-05-07

第1回 ブラック企業とは私の就労経験から言える事

はじめに

今、ブラック企業と言う言葉が就活情報誌、マスコミ、インターネット掲示板などで良く目にする。

語源は、あるIT企業に勤める若者が発した事が、きっかけと言われている。

それは2000年代になってからの事で私が就職した1980年代には全く無かった。

ではブラック企業の様な劣悪な環境は無かったかと言えば確かにあった。

しかし、その内情は単純なものではない。

その事を判ってもらいたく投稿する。

入社

私が大学生の時、公式に就職活動が認められていたのは10月1日からだった。

しかし私は就職に全く興味がなく勉学に勤しむよりアルバイトに重きを置いていた。

だから貯蓄が100万円以上あり、それを学費に当て留年するつもりだった。

ところが私の数少ない親友の1人が内定が決まったと私に告げに来た。

聞くと100人以上も採用しており自分は1次採用枠で応募したが履歴書と人事担当部長との面接あと縄跳びによる適正検査を経て2、3日で内定通知が来たと言うのだ。

私が就職に消極的だった理由に自分は口下手で競争意識が低く自己アピールなど全くもって苦手で毎日、定時に満員電車にもまれて出勤するなど真っ平御免だった。

しかし親友の話を聞くと結構、好条件な会社である事に気づいた。

まず勤務地が郊外である事だ。

つまり都心に向かう電車と逆の電車に乗るので空席があり座って出勤できる。

採用人員が多く私の様な口下手でも採用される可能性が高い。

更に、これを言ってしまうと会社が特定されてしまうが都道府県ごとに営業活動が制限されており域外活動を禁止する旨を法律で規定されていた。

つまり東京都なら都内でしか働けない訳で都外に転勤がないと踏んだわけだ。

しかし最後の域外活動の禁止については思いもよらない事に発展してしまうが後述する。

そこで私は、この1社のみ、ほんの軽い気持ちで応募する。

これも会社が特定されてしまう事だが当時、よくアルバイトしていた先がスーパーなど小売業だった。

スーパーでのアルバイトの仕事は男なら品出しと値付けだ。

今では死語だが当時は商品の1つ1つに値札(ラベル)を貼る作業があった。

ラベラーと言う特殊器具に値段をセットして連続して値段が印字されたラベルを打ち出し商品に貼る作業だった。

これには、ちょっとしたコツがあり商品をダンボールから出す前に綺麗に商品がダンボールに収まった状態で、その側面に連打して貼っていく。

それをレジで金額を打つ際どこに値札が貼ってあるか見付けるのに苦労させた面はある。

レジは女の仕事とされ全くさせてもらえなかった。

つまり業種も、まんざら知らない分野でもなかった。

しかし、ここで特筆すべきは、この会社が100人以上の正社員を採用していた大きな理由は別にあった。

宅配事業が伸びていたためだ。

これは入社後、知った事だが宅配で商品を注文する際に注文用紙に印字してある商品名の下に注文数を記入する箇所がある。

そこに数字を記入し注文用紙を商品を配達に来た社員に渡せば、その商品が注文した数だけ翌週に届く仕組みだった。

そして、これからが重要なのだが、この回収された注文用紙をOCRと言う特殊な機器に通すと自動的に注文数をデジタル化出来た。

そのままコンピュータで注文→発注→納品→集金を一気に自動化したため利便性がよくなり利用者が増えた。

つまり宅配を担う人材が欲しかった訳だが私は幸運にも運転免許を持っておらず絶対に宅配には配属されないと踏み応募した。

もう一つ言わなければならない事がある。

それは履歴書についてだ。

今でこそプリンタで印字した履歴書を良しとするのは当たり前だ。

当時はワープロなるものが、あった事はあったが高価で個人が買える代物で無かった。

しかし私はプリンタで印字した履歴書を提出した。

何故そんな事ができたか、それは日本語タイプライタなる物を使ったからだ。

これならワープロより安価で100万円貯蓄がある私なら買えた。

日本語タイプライタとは、あいうえ順の入力ボードに1行分の入力内容が液晶に表示され1行入力が終わるごに印字する。

ワープロの様なレイアウトを自由に変更したり画像を貼り付けたり罫線を引くといった機能は全くなかった。

そこで市販の履歴書に神憑り的微細な調整をして履歴書を仕上げ提出した。

(追記 2021.6.24)

日本語タイプライタで思ったのが今のSNSは、正にこれと同じだ。

1センテンスごとに送信するからだ。

寧ろ日本語タイプライタは1センテンス印字して誤字脱字に気づいたら、その用紙は破棄するからまだ良い。

SNSの場合そのまま相手に届くからコミュニケーションツールとして如何なものか。

当時の人事担当部長は私の履歴書をしげしげ見詰められながら

「君、こういうの好きなの?」

と尋ねた。

そして見事に私は2次採用枠で内定をもらった。

それから数ヶ月経ってから正式な所属先が決まったと通知が来た。

コンピュータ部門だった。

その時、私はワクワクした。

それは今までコンピュータなど何の知識もなく未知の分野だった。

が薄々、成長分野だとは気づいていたからだ。

今でこそ派遣社員の巣窟となりブラック企業の温床となり易い分野で有名だ。

が当時は花形職業として自慢できた。

しかし、これも、ご察っしの通り仇となった。

ちなみにコンピュータ部門に配属された理由は例の履歴書のせいだったと自分では分析してる。

しかし親友も同じコンピュータ部門に配属されたのは驚きだった。

また同じ仲間と一緒に仕事が出来るという安堵感もあった。

しかしこの親友とも後に仲たがえする。(つづく)

2014-04-08

第1回 これからの資産形成はどうあるべきか

お早う御座います今は朝4時半です。

昨日の日本の株式市場ですがアメリカの市場安と円高の影響で1%強の下落となりました。

現在のドル/円が103円すれすれの円高傾向ですので昨日の流れをそのまま引き継ぎそうです。

最初にお断りがあります。

当ブログの自己紹介で行政書士の資格を取得予定と謳ってましたが、結局取得していません。

日本の民法の複雑さが、どうしても理解することができず資格取得を諦めました。

今年も法人税を軽減するとか政府は議論していますが、もう少しシンプルにして欲しいものです。

(訂正)

先の文章は、このブログを著した当初はファイナンシャルプランナーの資格習得を目指していたため、この様な表現になっています。

行政書士に置き換えた場合の良い言い回しが思い浮かばないため、そのまま残しています。

と言う事で全く無資格の私が資産形成について述べますが信憑性があるのかと怒られそうですが我慢してお付き合い下さい。

過去を振り返って

まず過去を振り返ってみますと昭和時代の資産形成は不動産と貯金が中心でした。

高度成長期ですから不動産価格は桁違いに高騰しました。

昭和30年代に100万円で購入した土地が昭和60年末期の土地バブルの時には3,000万円近くにまで高騰しているはずです。

一方貯金ですが、こちらはインフレが酷かったため目減りするばかりです。

それでも日本人は勤勉なのでコツコツ貯金していきます。

そして平成時代になり、それが実を結びます。

郵便貯金を中心に10年物定期などが高金利(約6%)なまま償還日を迎え貯金額が倍になって返ってくるといった現象がおきました。

ちなみに私は当時、全くの無知だったので都市銀行の変動金利タイプの定期預金をしていたため何の恩恵も受けませんでした。

そして平成時代から21世紀になって超低金利時代を迎えます。

居住を目的とした不動産購入は恩恵があるのですが資産的には売却してもローン返済できない恐れがあります。

貯金も全く意味を持ちません。

ATMから現金を引き出す際の手数料分の利息も賄えないので自宅から遠くても自行の支店まで出向き引き出すといった行動をとりました。

ですから近くのコンビニのATMは、がらがらなのに銀行の支店や出先のATMは、いつも長い列ができるのが当たり前の風景になりました。
2000年頃のITバブルの時は当時まだ店頭銘柄といって証券会社間での取引でしか扱っていなかった株があり、そこにYahooが上場しました。

最初は300万円位だったと記憶しています。

それが1億円にまでなった話は有名です。

(追記)

1997年から2010年の間で最高値は1株167,900千円でした。

しかも株式分割していますので一度も売却せず保有し続けた人は数億という莫大な資産を手に入れる事ができました。

(追記)

この1億円の資産を再び株式投資にあて毎年、配当金を受け取るとどうなるでしょう。

たとえば、みずほフィナンシャルグループの配当性向は30%で配当率は3.5%で推移しています。

単純計算で

 100,000,000 × 0.035 = 3,500,000

となります。

つまり資産家は働かなくても年収350万円が見込めるわけです。(内70万円は所得税)

年収350万円とは、一般人の中間所得者になります。

ピケティとやらが発した

 資本収益率 > 所得成長率 (r > g) 

については後日、詳しく述べます。

そして若くして巨額の富を手に入れた人が住む象徴的な場所が六本木ヒルズでした。

また少子高齢化が進む日本に於いて税収が減る中で高額治療による医療費の増大が問題化されました。

また近い将来、年金制度が破綻するのではないかとも囁き始めました。

そこで日本で始まったのがアメリカを見習って導入した確定拠出型年金制度(日本版401K)です。

つまり厚生年金の掛け金の一部を回し自らの運用で資産を増やせというものでした。

これには皆、戸惑いました。

投資信託など扱った事の無い人たちが恐る恐るポートフォリオに組み入れました。

すると初心者なので全く売るタイミングが判らず大きく資産を減らした人が大勢いました。

さて今までを振り返ると、ざっとこんなものでしょうか。

これからの資産形成はどうすべきか

では、これからの資産をどう形成すべきか述べます。

まず居住目的の不動産についてです。

よく家は購入すべきか賃貸の方がよいか議論されますが、私は購入すべきだと思います。

(追記 2021.10.28)

ここでは細かなデータは示しませんが私の日頃の心象からのみお話しします。

今、日本はデフレ基調であることは皆さんもご存知の通りです。

デフレとは物の価値が下がり続ける現象を指します。

したがって、なるべく物を買う際は先延ばしにすれば今の価値より安く同じ物を買える事になります。

だから人々は、むやみな消費に走らず貯蓄を優先し現貯金をなるべく増やす行動をとります。

だから増々物が売れず更に価値が下がるという悪循環を生みます。

では不動産に関してはどうでしょうか。

確かに不動産もこの30年余りは価値が上がってはいません。

私の父が60年前の昭和30年代に家を建てた時は価格が150万円でした。

そして最近、その家を手放しましたが1500万円で売却しました。

つまりこの間に10倍も不動産価格が高騰したことになります。

しかし、この先60年後に今の不動産価格が同様に10倍になるでしょうか。

そんな兆候は全くありません。

それでは今後60年後に不動産価格が10分の1になったりするのでしょうか。

それもあり得ない話です。

これがPCだったらどうだったでしょうか。

私が20年前に購入したノートPCは価格が20万円以上しました。

それがもっと高性能なノートPCの価格が今は5万円代です。(価格的にはロースペックに該当しますが)

わずか20年間に4分の1に価格が下がったことになります。

この差はなんでしょうか。

実は不動産は他の消費財とまったく違う面を持ち合わせています。

つまりイノベーションが効かないのです。

つまり高度な技術革新によって生産性が一気に向上することで安価に物を生産できる、そういった性質のものではないのです。

あたりまえですが不動産には限りがあるのです。

これは石油や石炭の同じ側面をもちます。

石油は石炭は地下資源ですので人の目には普段触れません。

地中に眠った資源を今なお新たに探し当てています。

つまり枯渇すると一方で叫ばれながら今なお新たな資源が発見されている状態です。

一方不動産は確かに今も新たな団地の開発もあるのでしょうが、そろそろ開発する土地にも限界がきている印象です。

開発したにせよ山奥で都心から遠い不便な場所しか残されていません。

つまり限られた中で売買されるわけですからイノベーションなど効かないのです。

したがって今後価格が大幅に下落するといった現象は生まれにくいと解すべきです。

むしろ投機マネーが流入しやすく高騰する傾向が強いのも不動産特有だといえます。

よって買いたい時に不動産はおおいに購入すべきです。

しかもフラットな住居がベストです。

さらにバリアフリー適合の住居に住むべきです。

なぜなら、これだけ高齢化してる訳ですから、いつ何時身体に障害を抱えるか判りません。

そういった備えは是非検討すべき事案だと思います。

具体的には100㎡に満たない土地に無理やり(といっても建築許可は取ってあります)建てた3階ないし最近では4階の、しかも木造住宅など絶対止めるべきです。
まず階段の上り下りといった行為は高齢者には負担が大きすぎます。

これは、とにかく居住スペースを車庫付き3LDKないし2LDKは確保したいがための苦肉の策であって、その事によるしわ寄せが多く圧し掛かかります。

(追記)

ここで具体例を挙げます。

後で示すマンションと同じ間取りですが動線の一部に階段があります。

その階段の占める面積が同じ間取りでも余計なスペースを確保しないといけない事になります。

つまり無駄なスペースを占める事になり単純に掃除も大変になる訳です。

また移動が横のみでなく縦にもあるという事は重力に逆らう訳で筋肉への負担も増えます。

屋上へ洗濯物を干した場合2階の台所で洗い物をしている最中に雨が降り出すと一気に4階まで駆け上がる事になります。

と偉そうな事をつらつらと述べていますが今から私の体験を話します。

私は今都内のマンションに住んでします。

しかし、このマンションに住む前は一戸建ての購入を予定していました。

ある新築を購入するため不動産屋で契約書にサインする寸前でキャンセルした者です。(署名した後捺印で思い留まった。)

当然キャンセル理由を不動産屋に詰問されました。(価格が4千万円超えてたからだったと記憶しています。)

契約寸前でしたので不動産屋も穏やかでありません。

最後はそこの社長に罵倒されながら、やっと帰路につきました。

出典:Google
出典:Google
これが購入予定だった物件の現在の様子です。

写真を良く見て頂けると分りますが奥の建物と同時に建てた住宅です。

したがって玄関横の駐車スペースのシャッターやリビングの窓の大きな囲いも後に住人が設置した物です。(バルコニーを支えるためか赤い金属の柱も気になります。)

この物件を購入すべきだったか否かは皆さんの判断にお任せします。

当時の私は十数年後に、こんな形になるとは全く予想していません。

また私が住めば、こんな様になっていたかも判りません。

不動産は最終的には運です。

(追記 2021.7.7)

運とは一か八か丁半の賭博と同じことです。

不動産イコール土地の事ですが土地は生産できません。(開拓の話は置いておきます。)

つまり1点ものなので自分が所有しなければ他の人の手に渡ってしまいます。

そうすると基本自分が目の当たりにした時点で決断しなければいけません。

こちらの都合はお構いなしです。

だから賭けなのです。

ではアメリカでよく見かけるフラットで駐車スペースの付いた住宅を都心に建てることは可能でしょうか。

都市計画で用途地区によって30~80%の建ぺい率が設定されており建築基準法でそれを遵守する事が義務づけられています。

したがって建物面積が70㎡に駐車スペース(約20㎡)を確保するとなると建ぺい率50%として約160㎡の土地を確保する必要があります。

ちなみにYahoo不動産で検索すると東京都内で5千万円は軽く超えてしまいます。

そこへ建築費が加算され、さらに更地であれば、そのまま建築できますが古家あれば取り崩し費用も考えなければなりません。

建築費もビンキリで例えばCMで有名だった555万円掛かるとして計5,555万円で見積もった場合、年収500万円、返済期間35年、頭金なしだと下記の表のようになります。
月19万円の返済額では年収に占める比率が45.54%にもなります。

これは危険です。

通常は年収の33%が限度です。

しがって頭金が必要になります。

仮に年収の33%内に収めるとしたら頭金は1,500万円も必要になります。
つまり平凡なサラリーマンには高嶺の花です。

ならば不動産は資産形成に組み入れるべきでないのでしょうか。

方法はまだあります。

中古マンションの購入です。

(追記)

マンションに住む事で全く負の面がない訳ではありません。

それは住み続ける限り管理費と修繕積立費を、ずっと負担しなければいけない事です。

また真っ当なマンションなら必ず管理組合が結成されていますので、その参加義務が発生します。

ここからまた私の体験を話します。

今住んでいるマンションを、ここでお話したすべての事を考慮して買ったかと言えば全くそうではありません。

住んでみて気づいた事がほとんどです。

今のマンションは道の南側に面しています。

従ってマンションの北側が玄関、南側がバルコニーになります。

これが道の北側に面したマンションならどうなるでしょうか。

道に面した北側に日当たりの関係からバルコニーがくるはずです。

すると一番くつろげるリビングが道に近い場所になり交通量が多い道だと騒音や排ガスが気になります。(2重サッシとか施策すれば別ですが)

では私が、この事を配慮して今のマンションに住んでいるかというと全くそうではありません。

たまたま不動産屋に紹介された物件が、そうだっただけです。

皆さんも経験がおありでしょうが、やはり価格が一番折り合いがつきません。

最終的には価格が折り合いの付く物件に妥協してしまいがちです。

やはり不動産は運です。

まずマンションの構造を考えて見てください例外はありますが居住空間はフラットです。

(追記)

例外はメゾネットを指します。

高級マンションにありがちなのが、このメゾネットです。

また建物内はフラットなのですが屋外に通ずる動線に階段がある場合があります。

平地でなく傾斜な土地に建てられたマンションに多く見られる構造です。

スロープがあればまだ良いですが傾斜が急だと負担軽減も期待できません。

また最近はバリアフリー化が進んでいる物件も増えています。

共用部分にエレベータが設置されているため各階に関係なく高齢者も移動に負担が掛かりません。

先程の一軒家の時と同じ専有部分の面積を70㎡でYahoo不動産の東京都内で検索してみましょう。
73.38㎡で2,280万円という物件が検索されました。

かなり割安な物件です。

理由は2つあって最寄り駅からバスで17分もかかり建築後17年も経っている点です。

しかし中古マンションの未来は、明るいです。

東洋経済オンラインの記事から言える事は国が新たな資産価値の算定基準を策定すれば市場価値が高まると見て間違いありません。

それと駐車スペースについてですがマンションの共用部分にあれば越した事はありませんが、月極駐車場を借りる事も検討すべきです。

(追記)

近年はシェアーカーとい新しいサービスも始まっています。

今回は、ここで一旦休憩します。

次回は現金に絡めて、お話したいと思います。

関連ブログ 住まいとは

2014-04-07

ガンバレ日本!!日本のポータルサイト

前回グーグルについて話しました。

でも日本のポータルサイトだって負けてないところをご紹介します。

メール

まずメールですが残念ながらグーグルが一番使い勝手が良いです。

以前はヤフーのメールも利用していました。

広告表示をする様になって、うざったくて利用しなくなりました。

公平を期すため言えばグーグルのメールにも右側に広告が掲載されます。

しかしテキストベースなので全く気になりません。
(追記)

今のGmailもテキストベースだが負けてないくらい広告表示がうざったい。

検索

次に検索ですが、これも残念ながらグーグルしか利用しません。

ヤフーは登録型といって検索されるサイトを予め登録しておかないと表示されない仕様になっていたと思います。

(追記)

今はYahoo検索もGoogleと共通の検索エンジンを採用している。

よってグーグルの様なグローバルな発想がなく検索と言えない検索といったイメージがありました。

これは、あくまでも日本語版に限ります。

一方グーグルの検索エンジンは非常にきめ細やかでユーザの要求以上のサイトまでピックアップします。

これには驚かされます。

それにはコツがあって自分が検索したいサイトを検索する以上に検索し続ける事です。

具体的には[次へ]のクリックを今まで以上にクリックしてみる事です。

他の検索エンジンだと関連性が薄れてしまって無意味になりがちです。

しかしグーグルの場合そこが結構しぶとくて思わぬサイトを発見したりします。

何故かグーグルの良い点ばかり目立ちますが、ここから違います。

ファイナンス

まずファイナンスですが、これはヤフーをよく利用します。
グーグルは、このサービスを直接提供していません。

ここがグーグルが他のポータルサイトとの違うところです。

通常のポータルサイトは、そのページからユーザが求める分野に直ぐリンクを貼ります。

しかしグーグルの発想は違っています。

その要求さえも検索によって解決せよと言うポリシーです。

しがってファイナンスと検索して、その結果からユーザが最も適していると判断したサイトにアクセスします。

どちらが理想的なのでしょうか。

試しにグーグルから[ファイナンス]と検索してみます。

するとヤフーが1位に表示されました。

ただヤフーのファイナンスに満足かと言えば物足りない点もあります。

それは、もっと詳細な指標が欲しい時です。
たとえば楽天証券だと政策金利、米国債以外の債券、コモディティといった指標も提供しています。

そういった意味では投資といった専門性の高い情報はやはり証券会社のサイトを利用するしかありません。

不動産
次は不動産です。

これもヤフーが1番便利です。

全国の新築、中古の一戸建てからマンション、賃貸、注文住宅、土地の情報が満載です。

また住宅を購入時のローン返済も気になるところですがシュミレーターも提供しています。

(追記)

今もこのサービスを提供しているか確認中です。

地図
地図ですがユーザが1番知りたいのが住所から地図上の場所を特定し最寄の駅からの道順を教えてもらう機能です。

これは外回りをする者にとって無くてはならない機能です。

これが無かった時代の新規の取引先との交渉を、どうしてたのかと思います。

これはヤフーもグーグルも機能はあります。

ただ使い勝手の良さではヤフーかなと思います。

しかし決定的に違うのがグーグルがワールドワイドな点です。

つまりヤフーでは[中国河南省鶴壁市]と検索しても該当なしになりますがグーグルはちゃんと検索してくれます。

アラブ首長国連邦ドバイの沿岸に造られた奇妙な形の島もグーグルなら航空写真で閲覧できます。
また知的好奇心を刺激するという意味ではグーグルのストリートビューは優れた機能です。

私は5年程前に特殊飲食店の店員の住所を教えてもらいました。

このストリートビューを利用して描写したところ都営住宅でした。

マンションじゃないんだと知って妙な気になりました。

求人
以前は、ばらばらに紹介していた求人情報を一つにまとめたサービスをヤフーは始めました。

履歴書、職務経歴書の作成ツールの提供やメールによる転職者へのアドバイスといったサービスまで手懸ける様になりました。

ただ登録制なので求人メールが大量に来ます。

そこから自分に相応しい企業を選ぶといった作業は、ちょっと辛いです。

ブログ

ブログですが私はグーグルを利用しています。

任意ホスト名.ドメイン名.comで登録できるのが魅力だと思います。
インターネットでアドレス名は簡単な方が覚えやすくていいです。

またブログ名称で検索して1位に表示されるといったメリットもあります。

その他

インフォシークのウェブ翻訳は面白い機能だと思いました。

(追記 2018/12/29)

残念ですが、このサービス"https://"には未対応で今は上手く機能しません。

これと同じ事をグーグルでやろうと思えば本文にタグを埋め込むしかありません。

多国語サイトへ移行して移行先が自動翻訳する機能をオンにしていれば自国語に翻訳する事はグーグルでも出来ます。

しかし手軽に自分のブログを多国語に翻訳してどうなるか知的好奇心もあります。

誤字脱字の訂正や校正的な利用もできます。

(追記)

翻訳についてはMicrosoft Edgeで面白い動きがありましたのでそちらを見てください。

もう話を結ぼうと思っているのですが日本のポータルサイトはグーグルヤフーインフォシークだけでありません。

他にgooMSNExciteフレッシュアイlivedoorNAVERbaiduはてな@niftyBIGLOBEOCNau oneSo-netODNぷららhi-hoAOL.JPXhomeなどがあります。

私は、すべてのポータルサイトを普段利用している訳でないので、その真価は伺い知れません。

また今もって閉鎖することなく存在する事は、やはり、それなりの存在価値があるのだと思います。

よってグーグルだけが注目される昨今ですが日本のポータルサイトも頑張ってもらいたいものです。

さて次回ですが今後、将来に渡って少子高齢化がより深刻化します。

そうした社会情勢の中で私たちの資産形成は、どうあるべきか述べてみたいと思います。

ご期待下さい。

それでは、おやすみなさい。

(追伸)

ポータルサイトと呼べるが分かりませんが非常に興味深いサイトを発見しました。

価格.comです。

このサイトですが以前私が中古パソコンを購入した際に新品のパソコンだといくら位するか比較する為リンクを貼ったと思います。

その後クチコミというコーナーがある事に気付きました。

そこの評価が悪いに分類される投稿を読むと実状を如実に表していて、とても興味深いです。

是非、皆さんも参考になさると良いと思います。

2014-03-26

Windows 7 で気になること

前回はWindows 7で、もう不満などないと言っておきながら不満な点がまだあったので、ご報告します。

MP4ファイルをクリックするとWindows Media Playerが起動されるのですが頻繁にエラーになります。
Webヘルプを見ても、どうもぴんときません。

試しにWindows XPでMP4ファイルをWindows Media Playerで再生してみるとエラーになり対応してないファイルであるとのヘルプの説明がありました。

つまりWindows XPにインストールされているWindows Media Playerはバージョンが最新でないため単純にMP4ファイルをサポートしてない事が判りました。

ちなみにファイルを開くからファイルを選択できない事も判りました。

だとしたらWindows 7のWindows Media Playerではファイルを開くからファイルを選択してみると確かにMP4ファイルも開けます。

もう一度問題を整理すると同じMP4ファイルでありながら再生できたり再生できなかったり、ばらばらな点です。

結論から先に言うと、どうもH.246で動画圧縮がされていると再生できないらしい事が判ってきました。

そこでファイル変換ソフトを使ってH.246を変換後ファイルから外してみると、ちゃんと再生できるようになりました。

ということはWindows 7のWindows Media PlayerではH.246に対応してない事がはっきりしました。

となると問題は同じMP4ファイルがH.246で圧縮さているかどうかファイルからだけでは判別できない事です。

これはWindows Media Playerの次期バージョンで解消されるのを期待するしかなさそうです。

(追記)

2021年昔の音楽が聴きたくて音楽CDからWindows10のWindows Media PlayerでMP3に変換しようとしましたが上手くいきません。

仕方なく古いPCのTOSHIBA dynabook Satellite TX/66GにWindows7をクリーンインストールして、その環境で変換しました。

ちなみに何故Windows Media Playerで再生させる事にこだわっているかと言うとWindows Media Playerだとタイトル、再生時間、出演者などID3タグで整理できるからです。

(追記)

ID3タグを2018年では別のアプリで管理しているので、そしらも参照して下さい。

ちなみにH.246で圧縮された動画をH.246でない、ただのMP4ファイルで圧縮し直した場合約1.33倍に容量が増える事も分りました。

更に言えば動画ファイルにはMP4ファイル以外にFlashファイルがあります。

これはWindows Media Playerでの再生は出来ないためReal Playerで再生しています。

これも将来的には一緒に再生できるPlayerが提供されるのを待つしかありません。

もう一つ満足できないのがWindows DVD メーカーが起動できない事です。
ヘルプから原因は、はっきりしていてWindows DVD メーカーを使用するにはパソコンのビデオカードがDirectX9以降をサポートしておりWindows Media Display Driver Model(WDDM)ドライバーを使用している必要があります。
だったらプログラムをアンインストールしたいのですが、どうやってアンインストールしたらいいか分かりません。

起動しなければいい話なので、そのまま無視することにします。

Windows Media PlayerのID3タグでのMP4ファイルの整理はするとして再生出来ない時は、その都度Real Playerで再生することで対応したいと思います。

(追記)

Windows Media Playerがタコな件は、このソフトをインストールして解決しました。

GOM Playerです。

これだとMP4ファイルだけでなくFlash Videoファイルも対応しているのでReal Playerはアンインストールしてやりました。
再生画面に表示するロゴを設定したww
またWindows Media Playerをアンインストールする方法ですがコントロールパネルからプログラムと機能をクリックし左側のWindowsの機能の有効化または無効化をクリックします。

するとWindowsの機能が表示されるのでメディア機能を開きWindows Media Playerのチェックを外します。

ついでにWindows DVD メーカーも不要なのでチェックを外します。

そして最後にOKをクリックして完了です。

最後にYouTubeからの動画を埋め込もうと思うのですが5年以上前によくやったパチンコ台でCRエバンゲリオン~使徒、再び~をご紹介しようと思います。

また次回ブログをアップする際は話題をがらっと変えて投資の話をしたいと思います。

ご期待ください。

それではお休みなさい。

昨夜はちょっと興奮してしまいました・・・

昨日の今日ですいません。

何か言い足りなかった事があるような気がして、またブログをアップします。

まず、もともとWindows XPが動いていたPCは日立のPrius Note 200Cといって2002年の春モデルでした。
スペックは以下の通りです。

(1)CPUは1.0GHz
(2)物理メモリは購入当初は256MBでしたが自分で512MBまで増設
(3)HDD容量は30GB
(4)DVDマルチドライブ内臓DVD-ROM,CD-R/CD-RW
(5)USB1.1ポートが2口
(6)LANポートは10/100Mbps
(7)無線LANは未対応だったので前回もお話した通りUSBポートに無線LANアダプタを挿して無線LAN化

2002年春に、これを購入した時インターネットはどうしていたかというとPC本体をUSBポートからモデム内臓のワイヤーの様な物を挿しPHSとつなげてやっていました。

通信速度は最大64Kbpsでした。

プロバイダはどうしてかと言うとユニークなプロバイダがあってPRINと言いました。

プロバイダ契約が不要でユーザ名、パスワードが共通で「prin」でした。

実はこのサービスは現在もあります。

そして通信ケーブルからPCカードに変わります。
8チャンネルを束ねて増速する専用の通信方式だったのですが最大速度が512Kbpsでした。

それから、しばらくして始まったのがADSLです。

基地局まで1km未満だったのでパケットの劣化が少なく最低でも1Mbps以上はでてたと思います。

ただ標準モデムに無線LAN機能がなかったので勝手にNEC製無線LANアダプタを購入してモデムに挿しました。

パソコン側もNEC製PCカード型無線LANアダプタを挿して通信してました。
子機側のPCカード型無線LANアダプタはSDカードを挿し裏面のスイッチを切り替えるとメモリカードとしても使えました。

またIEEE802.11a. b. gのいずれで通信してたかは忘れました。

そして遂に我がマンションにもフレッツ光回線がMDFまできました。
当初はADSLで充分と思い興味ありませんでした。

ある日突然回線速度が出なくなって、にっちもさっちもいかなくなりました。

そこで我が家もフレッツ光回線にする事にしました。

アクセスポイント(親機)は無線LANで同時に4接続できたのでパソコン、3DS、Wiiとも繋げました。

フレッツ光回線にした時ADSLは解約しました。

レンタルだったモデムを返却した際中に挿していた無線LANアダプタもそのまま返却してしまいました。

未だに戻って来ていません。

通信回線の話からPCの話に戻します。

新たに購入した中古PCですがディスプレイが15.4インチで従来が14.1インチだったのですごく広く感じます。

テーブルにプリンタも載せていて前はちょうどPCも納まっていたのですが中古PCだと4分の1位はみでてしまいます。

昨日言い忘れた事で特筆すべきは消耗品およびサポートの件です。

当然古い機種だとサポート期間が短かったり終了したものを購入することは覚悟しなければなりません。

私が購入したPCもサポートは既に終了していました。
また純正のバッテリーがメーカーには無く業者の在庫分とサードバーティ製でないとダメです。

と言ってる最中にバッテリーの持ちが悪くなりました。

Google検索して、よせばいいのに一番安い3千円程度のサードパーティ製のものを購入しました。
ちなみに純正品だと6,500円以上します。

そして、やっばパッタ物はバッタ物で問題がでます。

いまも表示されているバッテリーのアイコンを矢印で指すとACアダプタをコンセントに挿しっばなしにも関わらず93%が使用可能と表示されフル充電してくれません。
またパソコン本体の電源ランプが橙点滅することがあります。

これはバッテリーの充電残量が低下しているサインでACアダプタをコンセントに挿しっぱなしでも、この現象が頻発します。

後は特に不満はないのですがウィルス対策ソフトについて、ちょっと触れたいと思います。

重要なメッセージとしてウィルス対策ソフトが検出されないと表示されています。

それはその通りでインストールしていません。
マイクロソフトの更新プログラムとWindowsファイヤーウオールに期待している訳ではありません。

ウィルス対策ソフトをインストールすると裏で監視プログラムが起動しているせいで動作が遅くなるのが嫌です。

またシャットダウンする際ウィルス対策ソフトが起動中で強制終了する画面になるのが綺麗でなくて好きになれません。
またウィルス情報のデータベースとの交信が頻繁でトラフィックを上げるのも嫌いです。

全ディスクをチェックするといった動作も時間だけくって本当に意味があるのか疑問です。

ウィルスというのは世の中に出回って有名になった時点では既に古く対策が追いついていないのが実状だと思います。

にも関わらず脅威だけ煽って膨大な使用料を払わされるのには納得できません。

だからインストールしなくてウィルスに感染しても小まめにバックアップを取って最悪はOSごと再インストールも構わない位の覚悟はできています。

またクラウディング環境なので意味のないといえば意味がないような気もします。

何か長々と話しましたが、今日はこれ位にします。

それでは御機嫌よう。

もうすぐ4月ですが・・・

もうすぐ4月ですが皆様いかがおすごしでしょうか?

4月といえば消費税が8%に上がります。

もうひとつ気になるのがWindows XPのサポート終了です。

私がどのように対応したか、ご紹介したいと思います。

参考になれば幸いです。

単純に考えてOSのバージョンを上げるしかないわけです。

どのOSにしたらいいかズバリWindows7です。

何故かといえばWindows7はサポートを2020年までとマイクロソフトは発表しています。

よって最新のWindows8.1になど焦って乗り換える必要はないのです。

以下のWindows画面の比較から判るようにWindows8.1は今までのWindowsと全く違うコンセプトの設計になっています。

ユーザの人気もいまいちです。
Windows7
Windows8.1
タブレット端末での需要を期待しているようです。

しかし従来のノートPCで充分とお考えの方は次期OSまで待った方がいいと思います。

(追記)

2015年7月にWindows 10を発表

2020年までに世の情勢が、どうなっているかなんて全く予想もつかない限りリスクは回避すべきです。

ちなみに全世界のOSのシェアは以下の通りです。

となるとハードウェアのスペックですが以下の通りです。

Windows 7 最小ハードウェア仕様要求
32ビット 64ビット
プロセッサー 1.0 GHz 以上
物理メモリー 1 GB 以上 2 GB 以上
グラフィック WDDM 1.0 以上の対応ドライバが提供されている DirectX 9.0 以上の GPU
HDD 空き容量 16 GB 以上 20 GB 以上
追加の要求として以下のものがある。
Windows95から、お付き合いしている方ならお気づきでしょう。

マイクロソフトが発表するスペックはかなり甘めに設定しています。

お勧めのスペック仕様は以下ぐらいがいいと思います。
 
(1)CPU  1.6GHz~2.0GHz
(2)物理メモリ  2GB以上
(3)HDD容量 60GB以上
(4)DVDマルチドライブ内臓
(5)USB2.0ポート 3口以上
(6)LANポート 10/100Mbps
(7)無線LAN サポート

つまり今お使いのWindows XPをWindows7にバージョンアップするだけといった事は無理な話です。

ハードウェアごと買い替えという事になります。

そこで、お勧めなのが中古PCです。

何故なら新品PCはWindows8.1が動く事を前提にしています。

スペックも高めです。

特にCPUが2コアだったりディスプレイがタッチパネル仕様だったりします。

価格.comだと3万円後半といったところが、もっとも安い品となります。

(追記)

2021年ChromeBookが2万円を切って発売

ChromeBookに関しては、また別の機会にお話しします。

だったらWindows7が動けばいい事に割り切ってしまうのです。

そうすれば、もっとスペックを落とした中古PCが狙い目になります。

中古品というと何か汚らしいイメージがあります。

それは中古専門業者も考えていて、ちゃんとクリーニング済みなのが常識になっています。

実はタッチパネル対応はWindows8.1に始まったわけでなくWindows7でも対応しています。

しかし、そこに拘らず、ただの液晶パネルでよければ、もともとWindows XPが動いていてWindows Vistaにグレードアップ可能なスペックのパソコンでユーザ自らが物理メモリを2GBまで増設してWindows7にアップグレードして中古品に出したといった品が狙い目です。

(追記)

法人が使用していたレンタルやリース切れ品も狙い目

ということで私が購入したのが19,999円のDELL inspiron 1300でした。

スペックは次の通りになりました。

(1)CPU 1.6GHz
(2)物理メモリ 2GB
(3)HDD容量 60GB
(4)DVDドライブ内臓(DVD-ROM,CD-R/RW)
(5)USB2.0ポート 3口
(6)LANポート 10/100Mbps
(7)無線LAN USBポート接続のアダプタで指先ほどの大きさ

無線LANは、おまけで付いていました。

理由は無線LANアダプタのUSBポート接続タイプの価格は、なんと送料込みで800円(4月12日現在、771円)しかしません。

(追記)

今はアマゾンで180円で購入可

そして極めつけはauショップを利用してauポイントが約10,000ポイント給っていたので、それも決済にあてました。

したがって実際は9,999円で購入する事ができました。

そしてオフィスソフト(ワープロ、表計算、プレゼンテーション)とWindows7のリカバリディスクもセットになっていたのは嬉しい誤算でした。

ただ残念なのがDVD-RWに対応してないところです。

仮に新品であれば要望により追加できるスペックでした。

最後に余談ですが今無線LANをつかってインターネットを利用しています。

アクセスポイント(親機)がIEEE802.11gまでしか対応していなかったので通信速度が遅く感じていました。

そこで親機にIEEE802.11n対応の無線LANカードを別途レンタルしてIEEE802.11nでの通信に切り替えました。

ところが逆に通信速度がもっと遅くなるという現象が発生しました。

やむなく親機の無線LANカードを抜いて元のIEEE802.11gで通信しています。

(追記)

無線LANカードが異常に熱を帯びる事が原因と後で判明

したがって月300円のレンタル料が無駄になってしまっています。

早々に解約しようと思っています。

(追記 2021.7.3)

未だに解約手続きしていない。

ちなみに、もともとあったPCもWindows XPのまま使うつもりです。

そこでUSBポート接続タイプの無線LANアダプタを早速、購入して無線LAN通信できるようにしました。

それだったら初めから買い替えなんて無意味ではとお思いでしょう。

あくまでバックアップとして使うつもりです。

つまり中古PCがダウンした際に、すぐ代替機として対応出来るようにするのです。

通信回線についても同様です。

無線LAN通信している親機の先はフレッツ光回線です。

震災などで停電すると親機(正確にはONU+ルータ)がダウンしてしまいます。

そこで私はウェルコムの旧3G定額サービスに加入したままです。

今はすでに受付は終了しており現3G定額サービスを提供しています。

(追記)

既に3Gはサービス提供中止

ここで面白いのがサービス内容とキャリアの違いです。

旧3G定額サービスは全くの未使用だと月額900円(プロバイダPRIN接続料)のみです。

使用時は定額5,700円+PRIN接続料900円がかかります。

一方、現3G定額サービスは一律3,880円掛かります。

通信速度も旧3G定額サービスが下り最大7.2Mbpsなのに対し現3G定額サービスは下り最大42Mbpsです。

一見すると通信速度の速い現3G定額サービスの方が得な気がします。

あくまでもバックアップ回線用なので普段は未使用です。

したがって旧3G定額サービスの契約のままが良いのです。

またウェルコムは取次業務しかしていません。

実際に運用しているのは旧3G定額サービスがNTT docomoなのに対し現3G定額サービスはソフトバンクです。

当時(2012年1月)私のところに、わざわざ郵送で機種変する案内が来ました。
しかし私は敢えて機種変しませんでした。

それは、それ以前にUQのWAiMAXを、お試し期間中のみ使用した際全く繋がらなかった経験があったので嫌な予感がしました。

そして申込み期限が過ぎても催促の電話もあったと思います。

では何故、当時、私が頑なに断ったかと言うと回線サービスに対する姿勢の違いがあるからです。

ソフトバンクが

「通信品質およびネットワーク利用の公平性確保のため一定期間大量の通信を行うパケット定額サービスご利用のお客さまに対して一時的に通信速度を制限する場合があります。

24時間ごとのパケット通信量が300万パケットを超えたお客さまを対象として当日の21時~翌日2時に通信速度制御を実施いたします。」

のに対しNTT docomoは

「ネットワークの混雑状況によって通信が遅くなる、または接続しづらくなることがあります。

また特に、ご利用の多いお客様(当日を含む直近3日間のパケット通信量が300万パケット以上)は、それ以外のお客様と比べて通信が遅くなることがあります。

なお一定時間内または1接続で大量のデータ通信があった場合、長時間接続した場合、一定時間内に連続で接続した場合は、その通信が中断されることがあります。」

どうですか表現は微妙ですがNTT docomoの方が規制が緩い気がするのは私だけでしょうか。

実体験としては、お見せする請求明細から、かなりヘビーユーザーだったことがお分かりになると思います。

回線が切断されたとう経験は一度もありません。

したがって今のサービスが続く限りは、そのまま継続していこうと思っています。

最後はWindows7への乗り換えの話から、だいぶそれてしまいました。

ITの世界は奥が深いです。

また機会があれば、おいおい話していきたいと思っています。

どうぞご期待ください。